昭和52年7月20日(土用の丑の日)の番組冒頭での会話

小松 「きのう、うなぎ屋さんへ久しぶりに入ったんですけど、もういっぱいなんで
す。」
武知 「一日早く」
小松 「そうですね。うなぎ屋さんも換気扇を回しっぱなしで、匂いをどんどん外
へ流していました。」
立木 「いい匂いですものね」
武知 「けさから、小松さん特に張り切ってるなあと思っていたんですけどね、
あ、きのう、うなぎを食べてたんですね。」
徳島のみなさんこんにちは。ご無沙汰しております。
1977年から2年間、「おはよう」の女性司会を務めさせていただきました小松澄子です。
今、アデランスのコマーシャルでテレビの画面に出ていますので、
もしかしたら徳島のみなさんも見て下さっている方がいらっしゃるかなと思います。

<アデランス・イブのコマーシャルに出演中>
(『おはようとくしま』の思い出は?)
辻さんという、大変恐いプロデューサーさんがいらっしゃいまして、番組が終わった後、すぐ
にですね、ビデオで今の番組を再生しまして・・・
目の前にはお弁当があるわけですけども、私たちは食べた気がしないわけです。
辻さんはお弁当を食べながらずっと怒っていらっしゃいまして「ここ止め!」と言うとドキッとしました。
「なんでここで、こう聞かなかったのか」
「なんでここで、話の腰を折ってしまったのか」ということばかりでした。
「視聴者と自分がイコールでなければいけない」と、ずっと言われ続けました。
で、一生懸命考えたんですが1回だけ誉められたことがありまして、本当にうれしくて今でも覚えています。
それが、ささやかなことなんですけれども
ある車イスの青年が途中、交通事故で障害をもたれて車イスのバスケとか活躍されていました。当時のことですから、本当に大変だった、すごいなぁというニュースでした。
あとで出演なさって、お母様が殆どお話になって、苦労話が止まらなくなってしまいました。
そんな時に、「お母様も苦労なさったと思うんですけども、ご本人も、もっと大変でしたよね」
というふうに、かなり勇気を持って話をご本人に振ったのを、唯一「あれは よかった」と言っていただけたのが、勲章のようにうれしいぐらい、後は一切!誉められていません。
<小松さんが「おはようとくしま」最後の出演の日、スタッフとの記念写真が見つかり、
本人に見てもらいました。>

・・・ 泣いちゃいますね。 清田さん、
住谷さん、亡くなりましたよね・・・
清田さんがいつもカメラの横からグッと顔を出してうなずいてくださったり、
住谷さんが「大丈夫、大丈夫だから」という感じで必ず笑顔でフロア(ディレクター)をしてくださいましたね・・・
あ! 辻さんだ・・・ 当時、みなさんに感謝が足りなかったですね、私。
自分がつらいばっかっり言って・・・
<『おはようとくしま』にメッセージ> これだけの志を持った番組というのは、全国でも「おはよう」だけじゃないでしょうか。
あの心を学ばせていただいた私は、本当に幸せだったと思います。 ぜひ高い志のまま、番組を作り続けてください。 |