おはようとくしま 20年のあゆみ
1971(昭和46)年4月3日(土) 「おはようとくしま」スタート(週1回、土曜日。07:15am-08:05am VTRカラー) 1971(昭和46)年9月2日(木) 週2回の放送となる。(木曜日生放送 モノクロ、土曜日 VTRカラー) 1972(昭和47)年1月1日(土) 週3回の放送となる。(火、木曜日生放送モノクロ、土曜VTRカラー) 1972(昭和47)年3月4日(土) 「ネフローゼの悲しみ」放送。(この放送をきっかけに「ネフローゼの子供を守る会」が発足、3月15日結成大会 1972(昭和47)年4月3日(火) 「ふるさとの年輪」スタート。(第一回は丈六寺、リポーター・長広敏雄氏) 1972(昭和47)年6月12日(月) この日から全面カラー放送となる 1972(昭和47)年7月3日(月) この週から月曜から金曜までの週5回完全帯番組となる 1972(昭和47)年7月7日(金) 「釣りだより」スタート 1972(昭和47)年9月 第一週から「電話アンケート」レギュラー化する。(火、水、木の3日間) 1972(昭和47)年10月 第一週から7時から8時の一時間枠となる 1973(昭和48)年10月 視聴率はじめて20%の大台に乗る。(21.4%NHKの朝の番組の壁をはじめて超えた) 1973(昭和48)年11月 第4次中東戦争はじまる(石油ショック、狂乱物価の番組多し)
※「どうなる灯油値上げ」(11/01)「異常な洗剤の買占め」(11/13)など1974(昭和49)年1月末 視聴者を招き朝食会 1974(昭和49)年2月28日(木) 「県議全員集合」放送。(全県議がはじめてスタジオに勢ぞろい) 1974(昭和49)年3月29日(金) 「おはようとくしま」放送500回となる 1974(昭和49)年4月8日(月) 池田高校「さわやかイレブン」センバツ大会準優勝 1974(昭和49)年8月15日(木) 終戦記念日特集。スタジオドキュメント「阿波郷満州開拓団の悲劇」放送 1975(昭和50)年1月3日(金)
「三木新総理に聞く」放送(聞き手・松村益二社長)
1975(昭和50)年1月7日(火)
「死の海、瀬戸内海」放送。(前年12月末に起こった三菱石油水島精油所の流出事故で北灘沿岸は油の海と化す)
1975(昭和50)年3月30日(日)
第一回「おはようとくしま親子釣り大会」実施。(吉野川中流でのハイ釣り、放送日4月4日(金)
1975(昭和50)年3月31日(月)
「おゆずりします」スタート
1975(昭和50)年8月12日(火)
終戦30年、この日から終戦特集を組む。(火曜日から金曜日)
1975(昭和50)年8月15日(金)
「8月15日の献立」放送(郷土文化会館前、県民広場で全枠中継録画。中学生、中年、老年の三世代が終戦当時の代用食を試食、感想、証言を聞く)
1975(昭和50)年10月3日(金)
「おはようとくしま」放送1000回となる(放送一千回を記念して「ふるさとの年輪」第一集発刊)
1975(昭和50)年10月15日(水)
第一回「おはようとくしま秋のふるさと市」実施。(新町川公園に県内41市町村が参加。中継録画で10月17日(金)放送
1976(昭和51)年1月7日(水)
青森放送「ニュースレーダー」と結んで二元生中継(青森「浅所海岸のオオハクチョウ」徳島「伊島の正月」)
1976(昭和51)年3月24日(水)
「眼底検査に新装置」放送。(徳島大学医学部とスタジオを二元中継で眼底検査を遠隔地で診断する新装置を紹介)
<第10回放送科学賞受賞>
1976(昭和51)年9月13日(月)
「雨台風13号襲来」(藍住町、吉野川から中継)
(この週金曜まで台風特集となる)
1977(昭和52)年4月19日(火)
「戦後の教育30年」シリーズ始まる。
(毎月1回火、水の二回連続で一年間)
1977(昭和52)年6月7日(木)
「脳卒中センター」放送(協立病院で録画)
<第11回放送科学賞受賞>
1977(昭和52)年6月14日(火)
JR福祉キャンペーン「叫び」(詩集かきつばたから)放送
<民放連盟賞放送活動部門最優秀賞受賞>
1977(昭和52)年8月5日(金)
剣山頂上から初の生中継(全枠)
1978(昭和53)年4月5日(水)
北日本放送(富山)と結んで二元生中継(「富山の雪」「徳島の桜」)
1978(昭和53)年8月13日(月)
「おはようとくしま」放送2000回となる(県民広場から生中継)
<二千回を記念して「ふるさとの年輪U」発刊>
<昭和54年度徳島県出版文化賞受賞>
1980(昭和55)年4月3日(木)
「十年目を迎えたおはようとくしま」放送
1980(昭和55)年10月10日(金)
第一回「おはようとくしま秋の大運動会」(放送日10/13月)
1981(昭和56)年1月13日(火)
「建設進む大鳴門橋」放送(工事現場から初の生中継)
1981(昭和56)年4月13日(月)
「おはようとくしま満10年」特別番組放送。(06:00-08:00amの2時間放送)
(歴代ホスト、ホステス集合、ヘリコプターから徳島市街を生中継)
1981(昭和56)年6月30日(火)
「とくしまの朝」スタート。(大川原牧場から)
1981(昭和56)年7月末
第一回「おはようとくしまソフトボール大会」始まる。(8月4日決勝戦生中継)
1981(昭和56)年9月28日(月)
新知事「三木申三氏に聞く」放送
1981(昭和56)年10月9日(金)
「とくしまうまいもの情報」スタート
1982(昭和57)/02/12(金)
「剣山スキー場から生中継」(全枠)
1982/04/23(金)
「おはようとくしま」募集「ふるさととくしまの歌」入選発表
最優秀 馬渕多佳子「ミーニヤ・シダージ」
1982/07/11(月)
第一回「おはようとくしまチャリティ・オークション」放送
県内外名士の提供品を競売
1982/08/23(月)
「池高、夏の甲子園で初優勝」
1982/09/06(月)
「サークル紹介」スタート
1982/09/14(火)
「けさの童謡」スタート
1982/10/23(水)
「先生のアンケート調査から」シリーズ第一回放送。
(県内小中学校の全教師4750人にアンケート調査)
回答は3654人から
1982/12/17(金)
「大鳴門橋主塔頂上から生中継」
昭和58年
1983/04/04(月)
「徳島県内札所生中継」始まる。
(県内に点在する八十八ヶ所札所から中継23回シリーズ)
1983/04/07(水)
「池高、栄光の夏春連覇」
1983/04/19(火)
早川一光「ぼけられん」シリーズ始まる。
(第一回「ぼけない方法教えます」)
1983/10/01(土)
徳島駅前「アミコビル」オープン
(オープンの日の一日をドキュメント・10/04(火)放送)
1983/10/14(金)
「おはようとくしま」放送三千回となる。
(東急インから視聴者との朝食会生中継)
昭和59年
1984/02/17(金)
「お歳暮品即売大会」
(全枠徳島市立体育館から生中継)
1984/04/02(月)
「フレッシュリポート」スタート。
(第一回津川イネさん)
1984/04/03(火)
「一村一品ただいま売込み中」始まる
(第一回那賀川町)
1984/04/05(木)
「ちょっと行ってみませんか」スタート
(第一回「残雪竜峠」上勝町)
1984/10/22(月)
国鉄高徳線「朝の通勤列車」から初の生中継
1984/10/26(金)
新町川釣り大会生中継。
(新町橋、春日橋周辺で実施)
1984/12/03(月)
新館百坪スタジオ(中徳島町・現新聞放送会館内)スタジオから
「おはようとくしま」初放送
1984/12/27(木)
「おはようとくしま餅つき大会」
(徳島市立体育館サイドの広場から生中継。
140人のボランティア参加で100世帯700キロの餅をつく)
昭和60年
1985/01/07(月)
新県民運動推進協議会から「一村一品ただいま売込み中」に感謝状
1985/03/25(月)
甲子園「網引旅館」から生中継。
(春選抜出場・池田高校野球部のリポート)
1985/06/08(木)
「きょう大鳴門橋開通」放送
(大鳴門橋写真コンクール募集、07/18入選作発表)
1985/10/25(金)
徳島公園堀端から中継。
(堀の清掃と魚の実態調査)
昭和61年
1986/03/31(月)
「産地直送、農協めぐり」始まる。
(第一回は大俣農協・市場町)
1986/10/17(金)
池田町から全枠生中継
(スワン号発着地の吉野川辺りから)
昭和62年
1987/02/12(木)
「おたかさんがやってきた」放送
(社会党土井たか子委員長初来徳のドキュメント)
1987/10/01(木)
淡路沖沼島から生中継。
(沼島の人々の生活ルポ)
1987/10/07(水)
徳島市小学生地区対抗綱引き大会始まる。
(初日は北井上小学校対千松小学校、生中継で放送)
1987/10/27(火)
初の衛生生中継
(美馬町狙ヶ内山腹の重清北小学校から集落のいも煮会の模様を放送・全枠)
昭和63年
1988/03/01(火)
「人力引いて遍路の旅」シリーズ始まる。
(7回シリーズ。人力車を引いて八十八ヶ所をめぐる男と四国各地の
人々とのふれあい、美しい自然を織り込んでのドキュメント。
香川県大窪寺結願寺で終了)
1988/05/12(木)
「病気に打ち勝つ食事論」スタート
(大塚製薬・佐藤和子医師)
1988/10/11(火)
シリーズ「医師の診断報酬」始まる
(平成元年1989/04/20まで8回シリーズ。
第6回平成元年3月16日県医師会長(日本医師会副会長)の
不正請求をスクープ。
こうした一連の放送により赤字続きの徳島市の国保は63年度(単年度)黒字となる。
この成果で平成元年度民放連盟賞放送活動最優秀賞受賞)
平成元年
1989/03/14(火)
「消費税QアンドA」放送(4月1日消費税スタート)
1989/06/20(火)
シリーズ「疑惑の海洋パーク」始まる
(この日市議39名に出所不明金が渡っていたことをスクープ。
全県内騒然となる。その結果、徳島市は海洋パーク建設を断念する。
その断念に至るまでの経過を27回にわたって放送。
このシリーズに対して、日本ジャーナリスト会議から平成2年度JCJ賞が贈られる。
また平成2年度民放連盟賞中四国審査会放送活動部門優秀賞受賞)
1989/07/24(月)
「新参院議員に聞く」(乾晴美(連合)、徳島にはじめての革新系参院議員が誕生。)
平成2年
1990/03/23(金)
「徳島の女性社長」シリーズスタート
1990/03/29(木)
「なつかしの徳島」スタート
(30年前のフィルムを再編集して放送)
1990/06/27(水)
「告発、徳島の教育」シリーズ始まる。
(元県教育長汚職事件をきっかけに、
徳島県教育界の実態が明らかとなった)
1990/11/02(金)
「文化の森、明日オープン」放送
(徳島市八万町向寺山に完成した徳島新名所「文化の森」紹介リポート)
平成3年
1991/01/14(月)
「湾岸危機私はこう思う」放送
01/16湾岸戦争突入
1991/04/03
「おはようとくしま放送満20年」放送(07:00-08:30)
(おはようとくしまに見る徳島の20年、ヘリコプター生中継。(鳴門〜徳島)
ゲスト・岩瀬弥永子、小松澄子、杉山雅子)
1991/04/05
「おはようとくしま」満20年記念パーティー
(阿波観光ホテルを会場に視聴者代表、歴代司会者、旧スタッフ、放送評論家など約300人が参加)