2003/12/16あすに残そう 阿波たくあん
けさは大正から昭和初期にかけて、全国一の生産量を誇った徳島の漬け物「阿波たくあん」です。
かつて「阿波たくあん」と呼ばれた徳島のたくあんが全国の食卓を飾った時代がありました。
大正12年にはおよそ2万トンが徳島で作られ台湾や朝鮮にも輸出されていました。
昭和20年代まで徳島は全国一のたくあん産地だったのです。
明治中期、化学染料の登場で衰退し始めた藍にかわり
吉野川下流域の平地で漬物用の大根が作られるようになります。
大正時代の食生活は麦飯にたくあんが主流でした。
大根を天日に干して10日ほどつけ込んだたくあんは阪神市場に出荷され
その品質の良さからやがて全国へ広まりました。
昭和19年、2万3千トンのたくあんが出荷される頃には
漬物用大根の作付け面積は3500ヘクタールをこえていました。
阿波晩生。
この大根が阿波たくあんの人気を支えました。
たくあん用に品種改良された大根です。
昭和7年に県の農業試験場で生まれた阿波晩生は当時、「たくあんに最適の大根」として高い評価を受けました。
品種改良の成功で阿波たくあんの人気はゆるぎないものになったかに思われました。
しかし、阿波晩生には重大な弱点があったのです。
昭和25年、大根のウイルス病が発生し阿波晩生に大きな被害がでました。
阿波たくあんの生産量はこの年、激減。
漬け物業界は大打撃を受けます。
あわてて県は品種改良に取り組みました。
県は病気に強い新しい品種「阿波新晩生」を作り挽回をはかりました。
しかし、出荷の減った時期に他の産地に市場を奪われたことなどが原因で
阿波たくあんが再び全国一の座につくことはありませんでした。
このあと徳島のたくあん作りは衰退の一途をたどります。
全盛期からおよそ60年。
現在、徳島でたくあんを出荷している漬け物業者は数軒にとどまり、
たくあんの出荷量は県内の漬け物全体の6%ほどに落ち込んでいます。
消費者が浅漬けを好むようになったこともたくあん離れに拍車をかけました。
たくあん用の大根、「阿波晩生」は今もわずかに栽培されていますが
たくあんに加工されて市場に出回ることはなくなっています。
明治から昭和初期にかけて全国の人々が支持した「阿波たくあん」の名声は
時代や食生活の変化とともに忘れ去られようとしています。