2003/03/18 ふるさとの宝物 (40) 阿波 木偶人形(でこにんぎょう)
けさは、江戸明治時代に隆盛を極めた阿波木偶人形をご紹介します。
阿波木偶人形は400年の歴史をもつ伝統芸能、阿波人形浄瑠璃の主役です。
阿波人形浄瑠璃は、映画などが登場する昭和初期までは庶民にもっとも親しまれた娯楽で、
木偶人形はその発展を物語る象徴として現在でも全国各地にのこされています。
阿波木偶人形。
憤りや苦しみ、悲しさなどさまざまな表情は
義理と人情のはざまであえぐ人の生き様を映したものです。
本来、太夫や遣い手が主役の浄瑠璃で
首(かしら)に、これほど豊かな表情を与えたものは他に例がなく、
日本の芸能の移り変わりを示す貴重な資料として
かしらのおおくが、県の有形文化財に指定されています。
( インタビュー ) 県文化振興財団
事業部主幹 坂本憲一さん
淡路から別れて文楽と阿波人形浄瑠璃に洗練された文楽
豪快・ワイルドな阿波木偶
阿波で最初に木偶人形が登場したのは、江戸中期の享保年間。
淡路の仏師 馬之背駒蔵が阿波に移り住み、首(かしら)を彫り始めたことだといわれています。
しかしそのかしらは小ぶりで目や口が動く複雑なカラクリはまだありません。
わずかに首をうごかすためのカラクリがあるだけです。
阿波の人形浄瑠璃は
太棹三味線の伴奏と、義太夫節、そして人形芝居の三役が一体となってつくりだす芸能です。
義理と人情のしがらみを題材とした物語は見る人の涙を誘い、
昭和のはじめごろまで庶民にもっとも親しまれた娯楽でした。
阿波人形浄瑠璃を発展させた原動力、
それは自らの生涯を木偶づくりにかけた二人の人形師の存在でした。
(徳島市国府町和田)
明治20年ごろ、ここには一軒の風変わりな店がありました。
看板には世界一の文字。
そして天狗のマーク。
阿波人形浄瑠璃の立役者のひとり、
人形師・天狗屋久吉(てんぐや・ひさよし)の工房です。
自らを世界一の人形師と称する天狗久は当時20歳なかば。
男がしらの製作を得意とし、そのダイナミックな作風で全国にその名を知られていました。
この町にはもうひとり、その独自の作風で人気を集めた人形師がいました。
清水忠三郎。(しみず・ちゅうざぶろう)
人形忠(にんぎょうちゅう)と呼ばれた人物です。
天狗久より18歳年上の人形忠はすでに人形師として豊富な経験を積んでいました。
人形忠は、天狗久とは対照的に、繊細な娘がしらの製作に秀でていました。
(桂川連理棚おはん )
(玉藻の前旭袂の桂姫)
師匠人形富の流れを汲み、江戸吾妻人形や京都御所人形の彫りや塗りの技術を用いたその首(かしら)は、
緻密で気品にあふれ他の追随を許さぬものでした。
新進気鋭の若い天狗久とベテラン人形忠。
天狗久の掲げた世界一はライバルに対する並々ならぬ対抗心の表れだったのです。
晩年、天狗久は知人にこうもらしています。
「 ただ、ただ、心の中だけは
人には負けん気でやっておるのでございます 」
天狗久は独自の作風を作りだそうと日々創作に打ち込みました。
そして、それまでには無かった工夫を打ち出しました。
第一は、徳島で初めて人形の眼にガラス玉を採用したことです。
光を与えられた眼には精気が宿りました。
第二は首(かしら)の大型化です。
舞台で見栄えがするよう、大人の頭ほどもあるものに変えました。
画面右、文楽の首(かしら)と比べると、その大きさがよくわかります。
さらにもうひとつは、人形のしかけです。
首のほか眼、口など一度に数箇所が動くよう、からくりを工夫しました。
舞台に映え、いっそう写実的になった天狗久の首(かしら)は高い評価を得、
各地の人形座でもてはやされました。
阿波の人形浄瑠璃がもっともさかんだったのは明治の中頃。
県内には74もの人形座があったといわれています。
上方の人形浄瑠璃が専用の劇場をもっていたのに対し、
阿波の人形浄瑠璃は、各地を巡り、仮設の小屋がけで興行を行いました。
そして西日本を中心に遠く信州や岩手、北海道まで全国各地で興行をおこない、人気を呼びました。
阿波の人形浄瑠璃を支えたもの、それは阿波藍がもたらした豊かな経済力でした。
吉野川北岸一帯の藍商や豪農たちはスポンサーとして芝居を後援するだけでなく、
自らも太夫となって晴れの舞台を踏みました。
しかし、その繁栄は長くは続きませんでした。
明治35年、化学染料の輸入で阿波藍は壊滅的な被害を受け、
人形浄瑠璃は、その後ろ盾を失いました。
さらに追い討ちをかけるように
大正時代には活動写真やのぞきカラクリといった新しい娯楽が登場しました。
阿波の人形浄瑠璃は時代の流れに取り残され衰退してゆきました。
それからおよそ半世紀後の昭和47年、
文化庁が県下の農村舞台の調査をおこなったことをきっかけに
人形浄瑠璃は文化財としての価値が見直され、
保存継承への機運が一気にたかまりました。
各地では途絶えていた公演が復活、会場には多くの人がつめかけました。
しかしそれは、かつて神社やお寺など各地でみられた、徳島の原風景だったのです。
( インタビュー )
坂本憲一さん
すたれるのは伝統芸能の宿命
でも指定されたことをきっかけにかつてのようになれば
人形浄瑠璃400年の歴史とともに成長をとげていった阿波木偶人形。
名工たちが、その技と心でいのちを吹き込んだ、ふるさとの宝物です。