2003/03/11 ふるさとの宝物 (39) へんろ道
けさは、四国88か所をめぐる、へんろ道をご紹介します。
へんろ道といいましても道路が整備された現在のへんろ道ではなく
昭和のはじめごろまで歩き遍路が利用していた道です。
車社会が発達するなかで、いつのまにか忘れられていった、かつてのへんろ道をご覧ください。
一番札所霊山寺。
四国88か所 発願(ほつがん)の寺としてここから、
毎日多くの巡拝者が旅立ちます。
しかし歩きへんろがあたりまえだった昭和初期ごろまでは
お寺を巡る順番やルートがいまとはかなり異なっていました。
(インタビュー)
徳島近世史研究会会長
三好昭一郎さん
都合のいいように順番をかえる
西国からの巡礼が辿ったという逆打ちの道を歩きました。
歩きへんろには、昔から受け継がれる
3つの心得があります。
ひとつ、
「摂取不捨の御誓願を信じ
同行二人の信仰に励むこと。」
煩悩に苦しむ人間をそのまま受け入れ救いに導く
阿弥陀の教えと弘法大師の加護を信じることこそが、
なによりも大切だと説いているのです。
4番大日寺から3番金泉寺へは峠越えです。
昭和のはじめごろまで使われていた古い道です。
今ではすれちがう人も見られません。
峠にある地蔵菩薩はこれから下りにさしかかることを知らせる目印です。
歩きへんろ、心得のひとつ、
「現世利益の霊験を信じ
八十八の煩悩を消滅させる 」
へんろが鳴らす鈴は道中の安全を約束する魔よけの音。
また煩悩から解き放つ、気高い響きでもあります。
へんろ道は阿讃の山すそを通り、3番金泉寺、2番極楽寺、そして1番霊山寺へと向かいます。
多くのへんろが通ったこの道も、年々そのたたずまいを変えています。
88か所が巡礼のコースとして定着したのは江戸中期の元禄時代。
もともとは僧侶の修行の場でしたが
巡拝の道順などが一般向けに紹介されたことから全国的に評判となりました。
当時の絵図には、いまでは見られなくなったルートが数多く見られます。
西から東へむかうあるき遍路は、
1番霊山寺まで巡ったあと南へ下り藍住町から国府町の17番札所 井戸寺へと向かいます。
板野郡藍住町。
住宅街にたたずむ旅の標は、
ここがかつてのへんろ道であったことの証です。
春日、矢上、諏訪神社と南に下るとほどなく吉野川です。
対岸は国府町東黒田。
17番井戸寺は目と鼻の先です。
戦後しばらくまで、ここは渡し舟が往来し多くのへんろが利用しました。
歩きへんろ心得のひとつ
「何事も修行と心得て、
愚痴、妄言を慎むこと 」
歩くことを業とわきまえ、
己の心とひたすらに向き合うことが旅の修行なのです。
旅を終えて、自らの心の変化に気づく人も多く、
四国遍路を生まれ変わりの旅と呼ぶ人もいます。
明治大正時代のたたずまいをとどめる古い町並み。
ここにも遍路ゆかりの場所があります。
かつて弘法大師が火伏せの業を行ったとされる場所です。
<徳島市蔵本本町2丁目 葆光庵(ほんこうあん)>
戦災でも焼けなかったことから火事を防ぐご利益があるといわれ戦後まもないころまで、
ここを訪れる遍路の姿がありました。
(インタビュー 長船満枝さん80歳)
幼いころ接待した記憶
今は遍路は来ない
車の時代だから
かつての歴史の証は、急速な時代の流れに押し流され、消えてゆきます。
そしていま、歩くことさえも忘れようとしています。
(インタビュー)
三好昭一郎さん
ひたすらに歩き、おのれの心と向き合う四国へんろ。
訪れるひとに生きる力を与えてくれる、ふるさとの宝物です。