2003/03/04ふるさとの宝物 (38) 祖谷山絵巻
けさは江戸時代、秘境祖谷の景色や風土を描いた絵巻物、祖谷山絵巻をご紹介します。
この絵巻は徳島県立博物館に収蔵されています
絵巻はその卓越した描写力から美術品として価値が高いだけでなくおよそ180年前の自然や風俗を
知るうえでも貴重な資料で、昭和44年、県の有形文化財に指定されました。
祖谷山絵巻は江戸時代後期の1828年、
徳島藩主蜂須賀なりまさが祖谷を訪れた際、御用絵師の渡辺広輝に描かせたものです。
上下二巻からなる巻物は幅22.5センチ、長さそれぞれ4.7メートル。
秘境祖谷の写実画、16場面で構成されています。
(インタビュー)
徳島城博物館主任学芸員
須藤茂樹さん
いつ何のため書かれたか
なかでも重要なのは失われた風景が書かれている
秘境祖谷の失われた風景。
そのひとつが、絵巻の最初に登場します。
大宮のかづら橋です。
かつて祖谷に13あったといわれるかづら橋のひとつで、
現在の東祖谷山村の久保と西山をつないでいました。
眼下には祖谷川、激流の谷に揺れるかずら橋の風景が迫力ある筆運びで描かれています。
数ある風景画の中で大宮のかづら橋が描かれているのはこの祖谷山絵巻だけ。
いにしえの名勝が、現代によみがえります。
「 かけはしの かづらをよぢて 渡る瀬は
雲の波わく 渓の水音 」
江戸時代、多くのうたに詠まれ、名勝と呼ばれたかづら橋。
しかし、時代の移り変わりとともに取り壊され木やコンクリートの橋にかわりました。
明治末期まで13あったかづら橋のうち、
現在残っているのは西祖谷の善徳と東祖谷の二重かづら橋の2か所だけとなりました。
絵巻には、霊峰剣山も登場します。
雲間の尾根に、ひときわ高くそびえる頂は標高1955メートル、
県内最高峰の剣山は地形が険しく、人を寄せ付けないことから
古来より崇められてきた神聖な場所です。
剣山中腹の、大剣(おおつるぎ)神社です。
社の向こう、そそりたつ巨大な岩山は神社のご神体、
おおつるぎ こうご石 です。
「 剣山、その山上に剣の権現御鎮座あり。
えにしより、ここに剣を納め この巌に立たる。
風雨これを侵せどもいささかも錆びず。
誠に神宝の霊剣なり。 」
霊験あらたかな剣の山には全国から多くの山伏が集まり、修練を積みました。
コリトリや不動坂など、今も残る地名は、かつてそこが修験の行場であったことを物語るものです。
場面は、剣山頂上へと移ります。
さきほどとはうってかわったなだらかな高原。
一切の苦難を解き放つ、黄泉の世界を連想させます。
霊峰として崇められるにふさわしい、剣山のもうひとつの顔です。
多くの風景画の中で、もっとも目をひくのが、この木地師の家を描いた場面です。
木地師とは、山中を転々と移り住みながら木を切り、椀や盆などの木製品をつくって暮らしていた人々のことで、ろくろのような道具を使って木を削っていたことから別名ろくろ師ともよばれました。
移動生活が送れるよう、住まいは簡素な小屋がけです。
庭先には製品をつくったあとの木屑がうずたかく積もっています。
三好郡西祖谷山村、ここにはかつての木地師の足跡を知る伝説が残されています。
(インタビュー)
西岡正義さん
7人の木地師がいた
天皇のお墨付き
7合目以上はどこでも伐採してもよいという
木地師がもっとも繁栄したのは江戸・文政時代、
祖谷をはじめとする剣山一帯におよそ300世帯の木地師がいたという記録が残されています。
しかし明治になって近代産業が発展すると木地師は姿を消し、今ではその名残をとどめるだけになりました。
(インタビュー)
徳島城博物館主任学芸員・須藤茂樹さん
いろんな意味で貴重
ほかの資料とあわせて研究すると役に立つ
剣山系の秘境を描いた祖谷山絵巻。
時代とともに失われた、かつての風土がよみがえる、ふるさとの宝物です。