2003/02/17ふるさとの宝物 (37) 県南 ミセ造り
けさは、海部郡牟岐町 出羽島(てばじま)のミセ造りの町並みをご紹介します。
このミセ造りは、蔀張( ぶちょう )造りともよばれ上下に開く戸板が庇と縁台の役目をする独特の住宅様式です。
全国でもこの出羽島をはじめとする県南部の漁村や高知県の一部にしかない珍しいものです。
牟岐港沖の出羽島は東西600メートル、南北1キロ、かつては遠洋漁業の基地として栄えました。
年間の平均気温は19度、黒潮香る亜熱帯の島です。
( 音 トリキリ )
92世帯、177人が暮らすこの島に自動車はありません。
西波止 本町地区)
まちの中心部には。
ミセ造りの町並みが続きます。
玄関横に上下開きの戸板をつけた独特の様式です。
ふだんは漁具の置き場や作業場として使われるミセ造りには、島の暮らしにかかせない機能があります。
上下2枚の板をたためば、頑丈な雨戸になります。
これで台風の激しい雨や風から住まいを守ることができます。
また、開け放てば風通しが良くなり、高温多湿の気候がしのげます。
耐久性と通気性に優れたミセ造りは、島の独特の風土に適応した住まいの知恵なのです。
しかしもうひとつ、ミセ造りには大切な役割があります。
( 音 トリキリ ) どうぞ、座って
お客とのおしゃべりやひなたぼっこ、商談など、ここは近所づきあいにはかかせない、半ば公共の場所なのです。
( 音 トリキリ ) インター
日本工業大学建築学科
教授 伊藤庸一さん
建築計画学
中に向かって仲間が集まる
共有空間、
目の高さ歩行者と同じ
大きいひとつの家族
カギひとつで終る都会とは
違う。貴重な体験
(洛中洛外図 1574
米沢市上杉博物館 蔵)
ミセ造りの歴史は古く、400年以上昔の絵図にも登場します。
ミセ造りの「ミセ」とは、商品を並べて売る棚のことで「店」、や「見世」の字が使われます。
都でうまれた「ミセ」の文化は船の交易によって、この漁村にも伝わったといわれています。
かつては全国各地でみられたミセ造りも戦後の建て替えなどでそのほとんどが消滅し、
現在は徳島県南部の由岐町から高知県の東洋町にかけての沿岸部にしかありません。
県南6町村に残るミセ造りは、およそ300戸。
出羽島には、このうちの44戸が昔とかわらぬ町並みをとどめています。
こちらのお宅は築70年。
ミセのいたみが激しくなったため最近新調しました。
こんにちは、おるで?
聞きつけたご近所さんが早速やってきます。
あたらしいミセをめぐって話に花が咲きます。
島が活気に沸いたのは昭和30年代。
カツオ漁などの遠洋漁業が、豊かな幸をもたらしました。
昭和35(1960)4月四国放送「ふるさとの顔 出羽島」
ミセは、近所仲間の語らいの場となり、
島全体が、ひとつの家族となって助け合いました。
しかし過疎化という、時代のうねりに飲み込まれ、島の生活は一変します。
(インター
新潟トキエさん76
前はここにもあそこにも
座る大人ももうおらん
昭和40年代、およそ800人いた島民はいまはその2割、177人にまで減りました。
100人以上いた子供も、現在は、たった4人です。
深刻な過疎化と高齢化。
ミセはかつての役割を失いました。
1986年、民間団体の現地調査をきっかけにミセ造りの町並みはその文化的な価値が見直され、
保全にむけた活動が始まりました。
専門家による研究会をひらくほか一般の参加者を募った見学会をおこない、ミセ造りが果たす役割や
意義を訴えつづけています。
( 音 トリキリ ) インター
阿波のまちなみ研究会
田村栄二さん
一級建築士
出羽島にはいいところ沢山
そのままは生かせないが
物を大切に、近所付き合いなど現代につながれば・・
住む人同士の心をつなぎとめる牟岐・出羽島のミセ造り。
地域社会のあるべき姿を指し示す、ふるさとの宝物です。