2003/02/04ふるさとの宝物 (36) 鳥居龍蔵の遺産

けさは、徳島出身の世界的人類学者、鳥居龍蔵博士が残した遺産をご紹介します。
鳥居博士が残した資料は膨大な量にのぼりますが、特に今朝ご紹介するのは鳥居博士直筆の原稿で公に紹介されるのは今回がはじめてです。
この研究原稿は考古学や民族学上、第一級の貴重な資料としていま世界の学者が注目しています。

鳥居龍蔵。
明治から昭和のはじめまで、日本文化の源流を求めてアジア各地を探検調査した人類学者です。

その鳥居博士の直筆原稿が去年春、鳴門市でみつかりました。
およそ1000年前、中国東北部で繁栄した国家、遼(りょう)を現地調査したときのものです。
これまでの出版物ではわからなかった現地の様子や発掘調査の課程が克明に記されていました。
( インタビュー 県立鳥居記念博物館 西田素康さん)
 まぼろしの原稿
 40冊、原稿用紙1600枚分
 鳥居博士のライフワーク
 研究者から注目

鳥居博士が研究した「 遼 」とは10世紀から12世紀、蒙古系の遊牧民、契丹族によってつくられた国家で、農耕生活も営む複雑な社会や文化がありました。
またその規模は広大で、今の中国吉林省から黒龍江省、遼寧省、内蒙古にまで達するほどでした。
鳥居は日本人として初めて現地に赴き、合計4回の調査を行いました。
鳥居はその調査研究結果を6冊の本にして発表する予定でしたが図譜とよばれる写真の付録4冊を刊行
しただけでその解説にあたる本文を完成させることなくこの世を去りました。 
図譜には簡単な説明が添えられているだけで詳細な解説はみ見当たりません。
今回みつかった原稿は、その研究結果の主軸、まさに本文となるはずだったものなのです。

( 西田さん )
 草稿に草稿を重ねて
 チラシの裏に書いたものもあります。

鳥居がこの研究に心血を注いでいだことがよくわかります。

徳島市東船場。
鳥居龍蔵は明治3年、この新町川のほとりに生まれました。
鳥居は裕福なタバコ問屋の次男でしたが、学校になじめず小学校2年生で中退、その後は近所の先生に教わるなどして語学や歴史学を学びました。
幼いころから歴史や地理、博物学に興味をもっていた鳥居は研究者を志して20歳で上京、学歴のない身でありながら東京帝国大学の人類学教室に標本整理係の職を得ました。
鳥居を研究にかりたてたもの、それは「 日本人はどこから来たのか 」という疑問でした。
鳥居はその答えを大陸に求めます。
朝鮮半島から中国、前人未到のシベリア、サハリンまで実に数千キロを踏破し、従来の学説を覆す画期的な成果をあげました。
アジアには存在しないと考えられていた石器時代の遺跡「ドルメン」を満州で発見したのも鳥居です。
自らの目と耳を頼りに異国の文化や風俗を調査した鳥居はフィールドワークの第一人者として世界中にその名を知られるようになりました。
鳥居のあくなき研究はその後も続きます。
日本人とその文化の源流をたどる調査は自らの起源を探す旅でもあったからです。
そして、長い調査研究の末、ついに中国東北部の国「遼」へとたどりついたのです。
初公開となる鳥居の研究原稿、その第一巻で鳥居は2つの巨大な塔を発見したと記しています。
「今日、遼上京城を中心として、その南北の丘陵上に各々一塔あり。
 私共はこれを称して 南塔、北塔と仮に命名しておいた。」

北塔について鳥居はその特長を次のように述べています。
「北塔は第27、28図版に示す如く今は甚だしく崩壊して居るが、
 高さ約12メートル弱、第四層以上は無くなって居るが或は六角七層の塔であったかと思われる。
 縦に長く破壊されていて、空洞の内部がよく見られる。」

辺境だとおもわれていた場所でこれほど絢爛な文明が花開いていたことに西欧の学者たちは大きな衝撃を受けました。

こちらは瓦の写真がはさみこまれた原稿です。

「ここの瓦の特色は、緑・黄のそれに釉薬を引いたものであって、これにいろいろな種類がある。
 例えば屋根の頂点に置かれる甍には龍があり、牡丹花の装飾のものがある。
 これらは黄や緑で焼付けされておりすこぶる見事な芸術品である。」

 釉薬龍文軒丸瓦
 釉薬鬼面文丸瓦
 釉薬丸瓦・平瓦

鳥居はこれらの貴重な遺物を日本に持ち帰っています。

さらに大陸の奥深くすすんだ鳥居の前に一本の白い塔が忽然と姿を現します。
鳥居はそのときの様子を次のように記しています。
「京中城内にひとつの塔が立っているこの塔はほかとおおいに相違するところがある。
 高さは六五メートル。四重にすこぶる勇壮威厳な守護神があり
 また、他の四面各重には荘厳なおびただしい仏塔が示されている。
 この塔には一種云うべからざる神秘的な圧力があるように感ぜられ、
 何だかすこぶる強い感を引き起こしさしむるのである。
 誠にこの塔には、契丹の皇帝、皇妃、皇族その他すべて彼ら民族の鎮護国家の礼拝物として
存在していたであろう」

発見された原稿はこれまでの鳥居の資料に新たな価値を与えるものとして今後の解明が期待されています。

(インタビュー 西田素康さん)
 明治の昔、あれだけのことができるなんて
 それが徳島で生まれて

その後も鳥居の調査はアジアだけにとどまらず、ブラジル、ペルー、ボリビアなど地球の裏側にまで及びました。
その業績は湧き上がる泉の如く、多くの研究者に恵みを与えいまも人類学の祖として讃えられています。
異国の文化や風俗に目をむけ、民族の起源を追い求めた鳥居龍蔵の遺産。
没後50年たったいまも色あせることなく輝きをはなつ、ふるさとの宝物です。


ことしは鳥居博士が亡くなってちょうど50年目にあたります。
そこで「 没後50年、今鳥居龍蔵を考える 」という催しが2月16日に行われます。
場所は文化の森の県立21世紀館
イベントホール、朝10時開始です。
鳥居龍蔵の生涯や探検調査に関する講演のほかシンポジウムも開催されます。
入場は無料です。
徳島県が生んだ考古学・民族学の第一人者鳥居龍蔵の足跡をみなさんもこの機会に辿ってみてはいかがでしょうか。


◇ 徳島の20世紀「徳島の偉人〜鳥居龍蔵」 2002/02/25


A.JPG (3897 バイト)

indexへ