2003/01/23 ふるさとの宝物 (34) 脇・うだつの街並み
けさは、美馬郡脇町にありますうだつの町並をご紹介します。
脇町は、かつて全国にその名を知られた阿波藍で栄えた町です。
うだつの町並はその歴史を物語る、貴重な景観として国の伝統的建造物群保存地区にも選ばれています。
徳島市から西へおよそ40キロ。
吉野川中流に位置するこの町は阿波特産の藍の集散地として
江戸から明治時代、めざましい発展を遂げました。
切妻造りの本瓦葺き、ぶ厚い漆喰壁の町並みがその特長です。
軒を飾るうだつは富の象徴。
莫大な財力を手にした者だけに許される、成功のあかしです。
うだつの町なみは、繁栄をきわめたかつての景観をとどめる貴重な場所として、
1988年、町の中心部およそ5.3ヘクタールが国の伝統的建造物群保存地区となりました。
(インタビュー) 一級建築士 阿波のまちなみ研究会 林 茂樹さん
徳島のうだつは袖うだつ
県内で脇町が最も多い時代も古い
脇町にうだつが登場しはじめたのは江戸中期の1700年ごろ。
もともとは火事を食い止めるための防火壁でした。
(レポート)
1707年建造
これ見て
片側にしかうだつがない
風をよけるためのもの
脇町は、北を讃岐山地、南を吉野川にはさまれた東西に細長い町です。
このため冬ともなれば猛烈な西風が吹きつけ、
江戸時代には大規模な火事がたびたび発生していました。
これは1830年12月みそかの大火を伝える手紙です。
「 正午ごろ出火、折からの強風にあおられ、たちまち燃え広がる。
北町中町両町とも残らず焼失す。」
焼失した家屋は169軒。
多くの人が師走の寒空に焼け出されたと記されています。
火は軒を伝い、窓から隣に燃え移ります。
火を消す道具や組織もなかった当時、ひとびとは軒先を頑丈な壁で遮断することで
自らの生命や財産を守ろうとしたのです。
火を防ぐ工夫はほかにもみられます。
建物の裏側です。
表とは対照的に軒を長く、低くつくられています。
こうすれば隣の火がもえうつることはありません。
また、柱や壁は外と内から漆喰で塗りこめ、木材の部分を隠しています。
これも引火しないための工夫です。
蔵づくり とよばれる脇町の美しい景観、
それは、火と戦った歴史の産物だったのです。
明治になると、阿波藍の生産はその全盛期を迎え、藍商人は巨万の富を手に入れます。
脇町は徳島、鳴門に次ぐ、県下第三の都市にまで成長しました。
町筋には贅を尽くした屋敷が建ちならび、
うだつにも意匠を凝らしたものが次々と現れました。
(森家明治5年)
(向井家明治40年)
(旧清水家明治中頃)
実用本位だったうだつには化粧が施され、
藍商人の絶大な力のシンボルとして軒を飾ったのです。
(尾形家大正9年)
しかし、明治の末期になるとドイツの安い化学染料が輸入され、
藍産業は凋落の一途をたどります。
さらに追い討ちをかけるように鉄道や幹線道路が対岸の穴吹、貞光に開通しました。
脇町は時代の流れから取り残され繁栄は過去のものとなりました。
それからおよそ70年後の1984年、
民間団体の呼びかけをきっかけに、うだつの町並みはその歴史的な価値が見直され
本格的な修復保存活動がはじまりました。
町では市街地景観条例を制定し、電線を地下に埋設したほか
周辺の民家の高さを制限したり瓦や外壁の色や材料を統一するなど、
景観の保全につとめました。
修復事業が開始されてから15年。
これまでに38棟の建物が修理復元されたほか、周辺の石垣も整備されました。
また、建物の一部は博物館などに活用されています。
(吉田家寛政4年1792)
かつて、阿波西部の中心地として繁栄を誇った町並みが現代によみがえったのです。
(インタビュー 林 茂樹さん)
統一感がある
街づくりを考える上で参考になる。
本瓦葺の大屋根に、漆喰の壁。
江戸時代から受け継がれてきた町屋の風景は、
今も住む人の手で大切に守り続けられています。
脇町うだつの町並み。
景観という名の財産を私たちに与えてくれる、ふるさとの宝物です。