2002/1210 ふるさとの宝物 (31) 木村家住宅

けさは、三好郡東祖谷山村の木村家住宅をご紹介します。
江戸時代にたてられた木村家住宅はいまでは数少ない、かやぶき屋根の民家です。
その保存維持をめぐって、いま重大な岐路にたたされている、国の重要文化財です。

木村家住宅が建てられたのは、いまからおよそ300年前の江戸元禄時代。

村内にあった武家屋敷を移築し農家に改築したもので、祖谷地方では最も古い民家です。
幅 17メートル、奥行き 8.6メートル、寄席棟つくり、茅葺の住宅は全国的にも古い時代の建物である上山間部の民家の特長がみられることから昭和51年、国の重要文化財に指定されました。

( インタビュー) 木村家当主 木村茂さん 49 
             明治時代の立替で
なくなったり
かやぶき、火に弱い
             300年もよくもった
             珍しいと思う。

標高1500メートル級の山々に抱かれた、三好郡東祖谷山村。

下界との行き来が困難だった山里は、まさに秘境の地。
平野部ではみられない独自の暮らしが1000年以上昔から営まれてきました。
建物にも、独自の特長がみられます。
縁側に続く、オモテは、木村家ではもっとも広い十八畳の部屋です。
客間として使われたほか、二十日講などの地域の行事にも利用されました。
屋根裏の空間はタバコの葉やしいたけなど収穫した作物を干すため、天井板を張っていません。
そのため かやぶき屋根を支える構造が、よくわかります。
さまざまな用途に使われるため、オモテの間取を広く設けるのが祖谷などの山間部にみられる特長です。

オモテに続くのは建物中央の、中の間です。
広さは10畳。
家族の居間兼寝室です。
障子の向こうには、6畳の寝間がつづきます。
木村家はこれらの3つの部屋と釜屋といわれる台所、そして土間で構成されています。

祖谷地方にはかつて、多くの茅葺民家がありました。
しかし戦後の急激な過疎化や住宅の建て替えにより、そのほとんどが姿を消しました。
屋根をふく技術も、後継者不足で途絶えしまいました。
さらに環境の変化もかやぶきの民家の修復保存を難しくしています。
材料のかやが、なくなろうとしているのです。

茅やススキが生い茂るこの草原に、いま松科の樹木ウラジロモミがふえています。
いまからおよそ40年前の1960年、すすきやかやなどの草地は村内に1500ヘクタールありましたが30年後の1990年には、その8割以上が消滅し、200ヘクタールにまで減少しました。
過疎化で農地が減り、茅を育てるための草刈りや野焼きが行われなくなったことが原因です。
草原は森へと変わり近い将来、消滅します。
技術者の不在、かやの消滅、修復保存を取り巻く状況はますます厳しさを増しています。
木村家は昭和59年の解体修理以後、主だった修復はされていません。
屋根にはあちこちに痛みが見られます。

( 音 トリキリ )   インター木村さん
              次に台風がきたら
              屋根がもたない

痛みはすすむ一方です。
しかし自治体では具体策を打ち出せません。

( インタビュー )

村教育委員会次長 谷口 晃さん

住民のなかには自宅の茅の栽培や刈り取りにボランティアを募る人もあらわれました。
茅の栽培、刈り取り、そして屋根の葺き替え

そのどれもが、かつては村人たちの手でまかなわれていた、行事でした。

( インタビュー 徳島大学工学部・助教授鎌田磨人さん)

植物生態学かやぶきの家は
村の伝統文化が結実したものただ単に保存しても意味がない。

朝晩がめっきり冷え込むようになりました。
まもなく、厳しい冬がやってきます。
「ここに住み続けることが私たちにできるすべてです。」
当主の木村さんはそう話します。

300年間、風雪や火災にも耐え、秘境祖谷の文化と伝統をいまに伝えてきた木村家住宅。
歴史継承のありかたを、わたしたちに問いかける、ふるさとの宝物です。


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