2002/11/26 ふるさとの宝物 (29) 三木文庫 かわら版
「ハイビジョン撮影」。画像はクリックすると拡大できます。
けさは 板野郡松茂町の三木文庫に収蔵されています、かわら版をご紹介します。
かわら版は江戸時代、街角で売られて読まれていたことから読売 と呼ばれたり木版摺りの一枚ものに仕立てられていたことから摺物(すりもの)とも呼ばれていました。
新聞もテレビもなかった当時かわら版は、世の中の出来事を知るためになくてはならない手段でした。
松茂町、三木文庫。
ここには江戸から明治にかけて隆盛をきわめた藍のの豪商、三木家にまつわる資料が収蔵されています。
その数およそ3万点。
ここで、江戸から明治時代初期に出回ったかわら版16点が見つかっています。
そこには遠くはなれた江戸や京都での出来事が記されていました。松茂町民俗資料館・主任学芸員 松下師一さん
幕末から明治までの商業活動をおこなっていた商人達が非常に、ときの政治や社会のいろんな話題に広く関心を持って、いかに商売に地域の行政に生かし、文化的な楽しみに結びつけていこうとしていたか、阿波の商人が商業から、政治、文化や娯楽にいたるまで情報を楽しんでいたこと、利用いていたのかがわかる。
楽しんでいたことがわかる
これは江戸の火事を伝えるかわら版です。
火災発生の様子が克明にしるされています。
1860年、8月27日、
「 夜、六つ時、南風激しく
浅草、猿若町一丁目芝居楽屋、 のきみちより出火。
同二丁目中村座、市村座、 同三丁目 森田座焼ける。
とうぜん寺 門前にてようよう風静まる。
火の勢いとどまり安堵の思いなす。
おそるべき火に、ご用心 ご用心 」
当時、江戸の人口はおよそ130万人。
ヨーロッパ最大の都市ロンドンの85万人をはるかにしのぐ世界一の都市でした。
なかでも浅草は町人の民家がひしめきあう住宅密集地。
ひとたび出火すれば多くの犠牲者を出す惨事となりました。
江戸では、大地震も起きていました。1855年、安政2年10月2日のことです。
被害の大きかった場所を記すよう、地図には、赤い色がつけられています。
かわら版はその生々しい惨状を次のように伝えています。
「夜、にわかに大地震起こり
大きくゆれ、つぶれる。
即死、けが人数知れず、
たちまち火事 出来(しゅったい)する。」画面左の付け札は三木家の江戸店が独自に調べた内容です。
それによれば
「 火元は30箇所、死人は数知れず
いずれ何十万人の人々になるだろう」
と報告されています。
藍商人三木家が、かわら版をあつめていたワケ、それは市場の動向を分析するためでした。
江戸時代、三木家は日本橋の支店を足がかりに武蔵、下総、常陸など関東一円に販売網を広げ、巨万の富を得ていました。
しかし藍の相場は経済や社会の情勢によってめまぐるしく変動し、値段も大きく変わります。
売り上げの大半を占める江戸市場の情勢は、三木家にとって最大の関心事だったのです。
情報は、船で阿波まで伝えられました。
到着までは早くて 中3日。
たとえば10月2日に起きた安政の大地震の知らせは、4日後の10月6日には既に三木家に届いていたことになります。
当時三木家は海運業にも進出し江戸大阪間の海上交通路も確保していました。
「 正確な情報を、いち早く手にいれ、対応策を練る」
この戦略こそが三木家を成功へと導いた、カギだったのです。かわら版は、身のまわりの話題も報じていました。
これは明治初年、徳島で出されたかわら版です。
松茂の海に、なんと アザラシが現れたというのです。
静かな漁村で起こったこの珍事の顛末をかわら版は次のように記しています。「 身の丈6尺5寸、目方は38貫目。
このけだものは、あざらしという。
海を徘徊し、船を覆し、人を食らう。
漁師数百人寄り集まり、数十日の探索の末、鉄砲でアザラシのノドを射抜き、ついには射止めたり。」2002年8月から10月頃にかけて神奈川県の多摩川や鶴見川に出現したアゴヒゲアザラシの「タマちゃん」(タマちゃーん!)
百数十年後の今、アザラシは人の心を癒すアイドルになりました。
かわら版には時代が大きく変わろうとする瞬間を捕えたものもあります。
黒船です。
江戸末期の1853年、ペリー率いる艦隊が神奈川県浦賀に来航。
その圧倒的な武力を背景に、開国を迫ったのです。
これは、嘉永7年、正月17日、ペリーがふたたび日本を訪れ幕府将軍に謁見する場面を報じたかわら版です。将軍にまみえ、涙を流すペリー一行。
史実とはかなり違っているようです。
ここには、日本からアメリカに贈られた品々が記されています。
机や花入れ、硯、火鉢、置物のほか大根800本、ニンジン500本、タマゴ1000個とあります。
これに対しアメリカから送られたのは、珍しい鳥やサーベル、鉄砲、ワインそして極めつけがこの、蒸気機関車です。
十分の一のミニチュアですが、実際に煙をはいて走ることができました。
圧倒的な文明の格差をみせつけたアメリカ。
日本が国を閉ざしている間にアメリカや西欧諸国では産業革命が起こり、さまざまな工業が発展していたことをかわら版は伝えました。諸外国に迫られ開国を余儀なくされる日本。
激動の時代を迎え、かわら版も政治的な事柄を扱うものが主流となりました。松茂町民俗資料館 主任学芸員 松下師一さん
幕末から明治の激動の時代になって非常に情報が少ない中で、なんとかして手に入れたいと思いの中から政治的なものや、時には微笑ましい地域の話題も含め人々は常に情報に飢えていた、情報を求めていたと思う。それ以後百年以上かかって、今日めざましく情報化時代が浸透します。かわら版はそういった情報化時代がこれから始まるという時期に作られ、収集された貴重な資料で、徳島県に残っていることは、有意義なことだと思う。今後とも残していきたいと考えている。
藍商人が情報収集のために集めたかわら版。
江戸や大阪では戦災によってその多くが失われてしまいました。三木文庫かわら版。
かつての日本の歴史をひも解く手がかりとなる、ふるさとの宝物です。