2002/09/24 ふるさとの宝物 (21) 原鵬雲・西洋画
けさは江戸時代、阿波ではじめてヨーロッパに渡った人物原鵬雲が描いた西洋図をご紹介します。
徳島藩士で絵師でもある鵬雲は江戸時代末期の1862年、幕府の使節の一員として海を渡り、イギリス、フランス、オランダなど5カ国を訪問しました。
ごらんいただきますのはその滞在中にスケッチしたとされる絵のうち、これまでに見つかった2枚です。
気球の図。
江戸時代末期、徳島藩士、原鵬雲によって描かれたものです。
「人間が空に浮かぶことなどできるはずはない」
それが当時の日本の常識でした。
眼下に見える黒船は、蒸気で走る最新鋭の戦艦です。
「西土経歴中、目撃す」
鵬雲が、自らの目で見たと記しています。
鵬雲が描いた西欧の絵は、県内でもう一枚見つかっています。東福寺 (貞光町端山)
「ラッパ」を吹く人物です。
洋服を着た西洋人は、軍楽隊の奏者です。
鎖国によって海外との交流が厳しく制限されていた江戸時代、
西欧文明を写した鵬雲の絵は、人々に大きな衝撃を与えました。
徳島城博物館主任学芸員・須藤茂樹さん
当時、渡航した人物は限られているが大変驚いたので日記という形で残している。絵画、目に残る形で残しているのは大変珍しい。徳島ではこの方しか西洋に行っていないわけだからこの方しか作品を描いていない。見た本人がまさにリアルタイムで見た。それを描いたという点ですごく価値があると思う。写真と同じ役割を果たしたと思う。
絵の作者、原鵬雲。
徳島藩の下級武士の子として生まれ、絵師・守住貫魚(もりずみつらな)に絵を学んだ人物です。
1861年、鵬雲は幕府がはじめてヨーロッパに派遣する使節団の一員に選ばれました。
文久の遣欧使節です。
全国から集められたのは36名。
鵬雲は写真の無い当時、各国で目にしたものを、その筆で書きとめる記録係として採用されたのです。
この使節には、後の日本の近代化に大きく貢献した人物もいました。
福沢諭吉。
のちの慶応義塾を開いた人物です。
福沢はその語学力をかわれ、通訳として同行していました。
二百数十年間、鎖国を守ってきた幕府が開国に転じたわけ、それは外国からの脅威です。
1853年、ペリー率いる艦隊が神奈川県浦賀に来航。
その圧倒的な武力を背景に、開国を迫ったのです。このとき鵬雲は江戸屋敷にいて湾岸の警備にむかう徳島藩を絵にとどめています。
衝撃的な歴史の瞬間に立ち会った鵬雲。
今度は自身が西欧へ赴く、予想だにしない事態となりました。
1861年12月22日。
使節一行は横浜を出航、2ヵ月後の翌年3月5日、フランスに到着しました。
そこで鵬雲たち日本のサムライを待っていたもの。
それは技術や貧富の差などまったく問題にならない、圧倒的な文明の格差でした。
鵬雲たちが訪れる100年前、ヨーロッパではすでに産業革命が起こり、さまざまな工業が勃興していたのです。
鵬雲が残した日記には最先端の文明の数々が記されています。
「けさ、歩兵銃隊およそ五千人ばかり大路を行軍するを見る。
その隊列たるや整然とし、規律堂々たり」
鵬雲が残した2枚の絵。
それは、繁栄する西洋文明を、まさにリアルタイムで映し取ったものだったのです。
使節団一行は、フランス、イギリス、オランダなど5カ国を訪問したのち翌年12月に帰国しました。
鵬雲は藩の学校の教師に任ぜられました。
しかし人々の想像をはるかに超える鵬雲の体験談を信用するものは少なかったといわれています。
心血を注いで描いた数々の絵もいつしか忘れ去られていきました。
鵬雲がヨーロッパに渡ってから6年後の1868年、
明治という新しい時代が訪れ、二百数十年続いた幕藩体制は終わりを告げました。
砂に水がしみいるように新しいさまざまな文明が日本中に浸透してゆきました。
しかしそのどれもが、かつて鵬雲がかの地で出会った文明の数々だったのです。インタビュー徳島城博物館 須藤さん
まさに明治維新になって徳島からも数多くの人洋行といって外国に勉強しにいくようになるがまだ江戸時代の終わりには選ばれた人しかいけなかった。そんな中、このほううんという方は徳島藩、阿波から(漂流者は別として)ただ一人選ばれて西洋に行った。西洋を見た。徳島藩の絵師が見て描いた。そして徳島の地に残っているというは大変意味があると考えている。
鵬雲が海を渡ってから140年。
時代とともにさまざまな文化が生まれ、城下町徳島は近代都市へと発展してゆきました。
原鵬雲が描いた二枚の絵。
徳島の文明開化の先駆けとして、未知の国ヨーロッパを誰よりも早く徳島に紹介したふるさとの宝物です。
この原鵬雲の気球図は
徳島城博物館で開催中の企画展「殿様の目、学芸員の眼」でごらんになることができます。
徳島城博物館開館10週年の企画展で10月6日まで開かれています。
さて次回は板野郡藍住町の藍屋敷、奥村家住宅をご紹介します。
江戸文化年間から明治にかけて全盛を誇った藍商人たちはその絶大な経済力で徳島の近代化にも重要な役割を果たしました。
撮影日 2002年 9月 4日