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徳島盂蘭盆組踊之図(原田弘也さん所蔵・徳島市有形文化財)

2002/08/13   ふるさとの宝物 (18) 徳島盂蘭盆組踊之図

阿波踊り期間中のけさは江戸時代の盆踊りを描いた徳島盂蘭盆組踊之図をご紹介します。

この 「組踊り」とは、江戸時代徳島で大流行した盆踊りの一種です。
死者の霊を弔うための「ぞめき踊り」とはまったく異なり、娯楽色を全面に押し出した、豪華でユニークな踊りです。

徳島盂蘭盆組踊之図は、踊りに沸きたつ徳島の風俗や町並みなどを知る貴重な資料として、
徳島市の有形文化財に指定されています。

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徳島盂蘭盆組踊之図(とくしまうらぼんくみおどりのず)。
数ある盆踊りの絵図の中で江戸時代の組踊りが描かれた、ただひとつの作品です。

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幅35センチ、長さはおよそ6メートル。
徳島城下 14町から繰り出した組踊りの数々が、目の覚めるような色使いで描かれています。

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徳島中世史研究会会長・三好昭一郎さん

今踊っている阿波踊りはぞめき踊りだ。

衣装から踊り方、鳴り物に至るまで全部影響している。

宗教的なものから、がらっと遊びに変わっている。

踊って楽しい、見て楽しいものになっていく。これ(組踊り)の影響。

これがなかったら、ほんとうに地味な踊りで魅力のないものになっていた。


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絵巻は、異国情緒あふれる「十二支踊り」で始まります。
演ずるのは富田中園組(とみだなかぞのぐみ)。

中国、唐人風の鮮やかな衣装が目を引きます。
鼓と三味線が踊りを盛り上げます。

十二支が描かれた巨大な方位盤。

踊の最中、この方位盤が二つに割れ、中から朝日が現れます。
見る人をあっと言わせる仕掛けです。

群がる人々。
混雑の整理係までいます。

続くのは助任町組(すけとうちょうぐみ)の拳踊り(けんおどり)です。

これも中国の文化をとりいれたものです。
長崎丸山拳相撲は現在のじゃんけんに似た遊びで江戸時代、長崎に持ち込まれたものです。
酒宴の座興として当時の遊郭 丸山 で大流行していました。

出番を待つ力士。
伴奏はチャルメラという おもしろさです。

組踊りの中には、当時上方で人気を博した芸能をそのまま持ち込むものもありました。
この祇園会踊がそうです。

新屋敷組、いまの富田橋4丁目の踊りです。
京都祇園祭の山鉾が徳島の城下を練り歩くという大胆な趣向です。
そのスケールの大きさ、豪華さは、本場も顔負けです。

何と歌舞伎まであります。
出し物は、「七変化 在原の業平」。
三代目市川歌右衛門が演じた名作です。

あふれる人、人、人。
絵巻にはその賑わいが、次のように記されています。

「(組踊りは)一丁一組およそ100人。
  年々歳々趣向を新たにす。
  拍子木を打ち、巧みに踊る。
  三弦を弾きいだしその音を放心して聞く。
  今夜は乱るる事。 」

長崎や上方の多彩な文化が徳島で花開いたワケ。

それは、阿波藍の隆盛です。

藩政時代、商人たちは、阿波藍の販路を全国に拡大していました。
そして巨万の富とともに、各地で流行した最新の文化や娯楽も持ち帰りました。

藍商人たちは自らも組踊りのスポンサーとなり、ありあまる財力を注ぎました。
藍の豊かな経済力と情報が組踊りを支えていたのです。

踊りは、景気を押し上げるカンフル剤です。
この場面では、繁盛する店の様子がよくわかります。

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ここぞとばかり店の名前を売り込む輩もいます。
今で言う企業連でしょうか。

描かれているこの場面はいまの徳島市 佐古界隈です。

画面右上、木戸の向こう側が西大工町、手前右下に見える欄干が佐古橋です。
百数十年前の 盂蘭盆会のにぎわい。
辺り一帯は、踊りに酔う人々のエネルギーで満たされていました。

踊りに沸く徳島城下。
しかし藩は、組踊を奨励するどころか、ぜいたくなものとして厳しく規制してきました。

そして 1800年、十二代藩主 蜂須賀治昭(はちすか・はるあき)によってとうとう禁止に追い込まれます。
しかし、藩の権威が衰える幕末頃になると組み踊りは復活し、今まで以上に盛大になりました。

藩に町人たちを止める力は、もはやありませんでした。
絵図は、最大の見せ場を迎えます。

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評判所のにぎわいです。

踊りの審査をする評判所は城下に4カ所ありました。 
舞台を取り巻く桟敷(さじき)は今と変わらぬ光景です。

高い櫓の上、ここが審査員席です。
審査結果は短歌にしたため、その場で発表される仕組みです。

舞台に立つのは大工町組の「 雨乞い踊り 」です。

中央の雨の神を踊り手がとりかこみ、円を描きます。

華やかな舞台の様子から観客ひとりひとりの表情まで臨場感あふれる筆使いで描かれています。
絵図には雨乞い踊りの寸評が次のようにかかれていました。

「 万民の 見てよろこびも ことわりや
  ひのもと 一の(日本一) 雨乞い踊り 」

毎年、新しい趣向で人々を楽しませた組踊り。

しかしその華麗でユニークな踊りは、明治という新しい時代の幕開けとともにその姿を消しました。

徳島近世史研究会会長・三好 昭一郎 さん

(阿波踊りは)その時々に面白いものを取り入れて、次から次へ変化してきたもの。

これからも変化していないと魅力はなくなる。極端な言い方をすると、どんな踊りでもいいわでけです。

リズムに合ってさえいれば踊っても楽しい、見ても楽しい。

思い切ってどんどん新しい物を取り入れていく。

これがより楽しい、魅力のある踊りになっていくでしょう。

見て楽しい、踊って楽しい組踊りの精神は、百数十年の間、受け継がれてきました。

徳島盂蘭盆組踊り之図。

踊りにかけた町びとの、心意気が伝わる、ふるさとの宝物です。


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