2002/08/06 ふるさとの宝物 (17) 西祖谷・神代踊り(じんだいおどり)
けさは、三好郡西祖谷山村に伝わる神代踊り(じんだいおどり)をご紹介します。
8月3日の土曜日に取材しました。
神代踊りは、1100年以上昔の雨乞いがその起源とされ、
各地で伝えられてきた厄除けや虫送りの儀式とは異なるものです。
そのあでやかで勇壮な踊りは国の重要無形民俗文化財に指定されています。
神代踊りは、毎年旧暦の6月25日、西祖谷山村の天満(てんまん)神社の例祭で奉納される踊りです。
その起源は平安時代前期の888年、讃岐守だった菅原道真が
干ばつに苦しむ農民のために行った雨乞い祈願だといわれています。
そのときの踊りや唄が、山深いこの地にも伝えられ、
現在の神代踊りのもとになったと考えられています。
江戸時代後期の1828年、西祖谷を訪れた
徳島藩主 蜂須賀斉昌(はちすか・なりまさ)を迎えたのも、この神代踊りでした。
三好郡西祖谷山村、人口およそ1800人の静かな村です。
村の9割は山林で、集落や農地は高いところで海抜900メートルの急斜面に散在しています。
年に1度、この山深い村で、神代の昔から受け継がれてきた舞が披露されるのです。
朝、踊り手たちが当屋(とうや)と呼ばれる家に集まります。
ここで着替えなどの準備をしたのち神社に向かいます。
当屋は祭りの世話役です。
神社の掃除から衣装の手配、踊り子の世話など、さまざまな仕事をこなさねばなりません。
西祖谷山村善徳東西 平岡 勇さん
66年一回、 大変です。 終わったらほっとする
「祭りを、とどこおりなく、無事済ませる 」それが当屋の役目です。
ほら貝の合図とともに、太鼓や鉦が打ち鳴らされます。
神社での奉納に先立ち、当屋の庭先を踊るのです。
祭りにかかわるもの、すべての安全を祈願する、昔からの慣わしです。
夏の行事として、また娯楽としてこれまで村のあちこちで行われてきた神代踊り。
しかし深刻な過疎化で、踊りを担う子供や若者は年々減り、
いまではここ、善徳地区でしか見られなくなりました。
千メートル級の山々が連なる祖谷山系。
かつて平家の落人たちが隠れ住んだ険しい山々です。
なかでもひときわ高い天神山(てんじんやま)の頂きに、天満神社があります。
雨を乞う人々の願いが、早く天に届くよう、ここに作られました。
かの菅原道真を祀る社のもと、いよいよ神代踊りの奉納です。
西祖谷で、神代から伝わる神聖な儀式です。
雨乞いをその起源とする神代踊り。
踊り手の役割や持ち物には、独特の意味があります。
子供が演じるのは、「 カチカチ 」と呼ばれる役です。
手にした棒は、火打ち石に見立てたものです。
火花を放つ 火打石は雨を呼ぶ稲妻をあらわしています。
打ち鳴らされる太鼓と鐘は、雨雲に轟く雷鳴です。
また、踊り子が被る花笠は、夕立にかぶる雨傘です。
周りに垂れ下がる紙のフサは、雨のしずくです。
踊り先頭は「露払い」と「獅子」です。
それに「棒振り」や、「奴」が続きます。
踊りの最後は、大きな草履を結わえた「ゾウリ取り」です。
これらの踊り手は、雨に降られて逃げだす、
さまざまな身分の人物や動物をあらわしています。
男の踊り手を中心に、その外側を、鳴り物と女の踊り手たちが取り囲みます。
神代踊り、最大の見せ場です。
勇壮な男おどりに、あでやかさを添えるおなご衆。
古式ゆかしい舞が、山深い舞台で今年もよみがえりました。
(インタビュー)
神代踊り保存会代表・岡崎博文さん 51
子供のころの夢 昔は選抜 過疎だができるだけ保存していきたい。
祭りが終わったあとも、村人たちは、帰ろうとはしませんでした。
かつてこの境内で踊った懐かしい記憶がよみがえります
爺さんのときと違うぞ
みな、いくつになっても踊りは大好きです。
西祖谷の夏を彩る 神代踊り。
深い森の木漏れ日に、いにしえの伝統が映える、ふるさとの宝物です。