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2002/07/30   ふるさとの宝物 (16) 原田家住宅


けさは、徳島市かちどき橋にある武家屋敷、原田家住宅をご紹介します。
江戸時代末期の建物は独特の間取りをもつほか各所に匠の技が施された国の登録文化財です。

原田家住宅は江戸時代、徳島藩に仕える上級武士の住まいでした。

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広さはのべ200平方メートルの木造平屋、一部二階建て。
数寄屋風の重厚なつくりは現代建築にも通じる斬新なデザインです。

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この屋敷は、最後の徳島藩主となった
蜂須賀茂韶(はちすか・もちあき)が明治初年、藩の重臣だった原田家に譲り渡したもので
その後の明治15年、城下から移築されました。
地震や戦災で多くの貴重な歴史建造物が失われるなかで、藩政時代のたたずまいをそのまま残す原田家住宅は武士の住宅形式や当時の暮らしぶりを知る、貴重な建物です。

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建築家 森兼三郎さん

蜂須賀家の遺構であるというので非常に貴重な建物。間取りも一般の民家と違って、民家は「田の字」だがここは複雑な間取りをしており非常に特異な建物です。

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一階の部屋数は10。
複雑に入り組んだ間取りは盗賊や敵の襲撃に備える工夫です。

極端に狭い玄関。
目の前の壁が敵を惑わせます。

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部屋はすべてふすまや障子で仕切られています。
敵から逃げたり、反撃しやすくするためです。
また2階建ての屋敷は、正面からは平屋に見えます。
これも敵をあざむくカモフラージュです。

原田家住宅のもうひとつの特徴、それは各所に匠の技が凝らされていることです。
鮮やかな朱はベンガラ という顔料です。
インドのベンガル地方原産といわれるベンガラは江戸時代、建物の防虫・防腐用に重用された顔料です。
また、随所にみられる柱は樹齢100年以上の杉です。

直径わずか15センチの中に100年分の年輪が詰まっています。
建築部材としても非常に硬いこの杉は数百本に1本しかないといわれる代物です。。

廊下脇の、10畳の客間。
華美な装飾は一切みられません。
格式と、気品にあふれる空間です。

床を飾るのは、蜂須賀家ゆかりの品々です。
金色に松は、御用絵師、森住貫魚(もりずみ つらな)の傑作です。
つらなは、伝統的な大和絵に狩野派や円山派の技法を取り入れ、日本近代画壇の発展に大きな
役割をはたしたことでも知られる人物です。
「 仰ぎては山を見、ふしては泉を聴く 」
14代藩主、茂韶(もちあき)の書です。

夏、文月。
部屋を吹く風が冷やりと肌をなでます。

屋敷には2つの茶室があります。
中央付近に炉をすえた独特のつくり。
流派にしばられない武士の茶室です。

藩政時代のたたずまいを残す原田家住宅、しかし老朽化やシロアリによって建物のいたみは深刻さを増しました。
このため、原田家では8ヶ月の期間と2000万円の費用をかけ修復作業を行ないました。
齢130年の館に、あらたに50年の命がふき込まれました。

有事に備えた武家屋敷。
しかしその内部は、吟味を尽くした材料と作り手の確かな技が結実した趣深い日本家屋なのです。

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七代目当主 原田弘基さん(80)大阪市在住

このうちは明治の初年に頂いてここへ移り。戦災にも遭わずに地震にも耐えて今まで130年命を長らえた。今度もおかげさまで修理していただきましてさらに50年命を得たというのは非常に運のいいうちだと思います。大阪にいてここにいませんのから全て地域の人に任せて利用していただこうと思っています。

屋敷の傍らにある一本の桜。
江戸時代、徳島城に植えられていた蜂須賀桜です。

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桜は、藩政時代の貴重な遺物としてこの屋敷とともに、今保存の輪が広がっています。
江戸時代の武家屋敷、原田家住宅。
今はもう、見ることのできなくなった江戸時代のたたずまいをとどめるふるさとの宝物です。


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