2002/07/09ふるさとの宝物 (13) 高原ビル
「 ふるさとの宝物 」です。
けさは 徳島市東船場の高原ビルをご紹介します。
国の登録文化財に指定されている高原ビルは、昭和7年に完成した鉄筋コンクリート3階建ての商業ビルです。
( VTR )
オフィスや店舗が立ち並ぶ徳島の中心部。
ここに高原ビルはあります。
鉄筋コンクリートづくり3階だて。
ベージュが基調の落ち着いたたたずまいです。
窓まわりにみられる装飾は、中世ヨーロッパの「 ロマネスク 」といわれる建築様式です。
ひさしに使われているのは、人造の大理石です。
昭和初年の建物に使われているきわめて珍しいケースです。また外壁は、東京の旧帝国ホテルにも使われたスクラッチタイルです。
ワラビのような模様の細工は、今では再現することのできない巧みな技です。
高原ビルは、昭和初期の都市建築の様式をとどめるビルとして、平成9年、国の登録文化財に指定されました。
建築家 中川俊博さん
この軒裏を見てみると、シックなようですが角を見るとかなり赤っぽくなっている。かなり鮮やかなピンク色だったことが判明します。当時この辺の建物は瓦屋根に漆喰の土二階建てのモノトーンの建物があった中に、ベージュとピンクのそれも建物、しかも洋館が建ったとなると、現代的というよりもたぶん腰を抜かしたと思う。当時としてはアバンギャルドなず抜けた建物だったと思う。
ビルを建てたのは高原義資( たかはら よしすけ )さん。
石油と食用油の卸売業を営んでいた高原さんが、事業拡大のため東船場に新築したものです。
設計を手がけたのは鈴木貞次( すずきていじ )。
近代ルネサンス風建築を得意とした鈴木は旧名古屋銀行や松坂屋本店など、数多くの都市建築を手がけた建築界の大御所でした。
当時の最高の技術と資材を投じた高原ビルは、近代都市、徳島を代表するオフィスビルとして注目を浴びました。
一階は商店だった場所です。
いまは、テナントとして使われています。
重厚なつくりの扉。
金庫も、いまなお現役です。
ビルには、3階まで吹き抜けの階段がありました。
アール・デコ風の洒落た装飾です。ここは接客につかわれた部屋です。
丸窓が、客の目を奪う絶好のアクセントです。
昭和20年、7月4日、アメリカ軍 B29の大編隊が徳島市上空にあらわれました。
まちは一瞬でがれきの山と化しました。高原石油社長 高原保之さん
ここへ、焼夷弾が5,6発落ちていましたし中には不発弾も3発くらい残っていました。ほんとに焼け野が原そのもの。ほんとに悲惨なものですね。
激しい空襲にもかかわらず、高原ビルは焼けませんでした。
建物を戦火から守ったもの、それはこの窓でした。網の入った頑丈なガラスが火の侵入を防いだのです。
表面には高熱による亀裂が走り大火の生々しさを物語っています。
昭和のはじめ、前衛的ともいえる景観を誇っていた、高原ビル。
70年たった今、最新のファッションや先端技術を発信する拠点として生まれ変わりました。
高原石油社長 高原保之さん
利用する側からすると非常に不便な建物でしたし、これを改造することによって使い便利のいい商業ビル、テナントビルにした方がむしろ活性化につながり楽しい建物になるのではないかと考えた。やはり古い建物には歴史の重み、味、楽しい味がある、あとから建てた新しい味わい、従って古いものと新しいものをミックスした楽しい味わいのあるビルになったであろうもの
過去の遺物として取り残されるのではなく、人々によって活用され、いまも生き続ける文化財高原ビル。
21世紀に新たな歴史をきざむ、ふるさとの宝物です。
さて次回は、鳴門市高島にある塩田屋敷、
福永家をご紹介します。
江戸時代、塩づくりは藍とならぶ
徳島の基幹産業でした。
塩が果たした役割を知る上で
大変貴重な国の重要文化財です。
お楽しみに。