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2002/05/07 ふるさとの宝物 (5) 海部刀

第5回のけさは 海部刀です。
古くは鎌倉時代から、
海部側流域でつくられていた海部刀は
重要刀剣をはじめ、
県や町の文化財にも指定されている日本刀です。

( VTR スタート )

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刀身銘 阿州海部住  氏吉
(とうしんめい あしゅう かいふじゅう うじよし ) 
海部刀を代表する作品です。
刃の長さは36センチ。
刀身はやや短く、
片側だけにしのぎのある、
片切刃(かたきりば)づくりがその特長です。 

堂々とした刀身には 銘が 刻まれています。

 

サヤには、カバの名木(めいぼく)や
角(つの)が巧みに用いられた細工が
ほどこされています。

凛とした たたずまいの日本刀とは一線を画す、
野趣あふれる独特のつくりです
別名、海部包刀
( かいふほうとう )と呼ばれたこの刀は、
馬、甲冑はもとより、
竹や木など、あらゆるものに対して
よく切れるだけでなく
耐久性にも優れていました。

しかし 戦国から江戸の時代、
この刀が全国に名を 馳せていたことは
あまり知られていません。


海部地方で刀が作られるようになったのは
今からおよそ650年前の 鎌倉・南北朝時代、
この地を支配していた豪族 海部氏が
刀造りを奨励したのが、そのはじまりです。

海部は 絶えず、
土佐からの 侵略の脅威にさらされていました。

優れた刀の生産は、
国の存亡が かかった 重要な課題だったのです。

( 音 トリキリ ) 海南町立博物館
館長 岡田一郎さん

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海部の山の稜線とか太平洋の波とかを波紋の中にうまく取り入れて
海部ならではの、たいへん美しい波紋を作っている。
よく切れるのが海部刀の特色だが
そのために全国の、例えば相洲、備前、関、九州薩摩の浪乃平など
優れた技術を海部の地に導入してよく切れる美しく海部刀を作った

海部刀のなかには
銘品と呼ばれるものも生まれています。

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大磨上   無銘  伝海部
( おおすりあげ むめい でん かいふ ) 

これまで見つかった海部刀のなかで、最も古いもので、
鎌倉時代初期の1390年ごろつくられました。

名工 正宗を生んだ 相州鎌倉の大胆な作風と、
繊細で品格のある、九州 波乃平 の作風をうつす銘品です。
なみのひら  
画面上、白い刃先の部分には
「霞(かすみ)のような」模様が見えます。

沸え( にえ )と呼ばれる、粒子の一つひとつが連なり、
光る線となって表れています。

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優秀な制作技術の導入に加え、
海部川流域では、良質の砂鉄や水、木炭などの
豊かな資源に恵まれ
刀づくりは室町から戦国時代、その全盛期を迎えました。

幾多(いくた)の合戦を通じ、
海部刀は、その切れ味と 耐久性が追求されました。

刀身が短く幅の広い 片切刃(かたきりば)の日本刀は
このころ生まれました。
1615年、海部刀を全国に
知らしめること と なった戦(いくさ)が起こりました。

江戸幕府による、大阪城攻めです。

その様子を物語る貴重な資料が、
かつての戦闘の舞台に、残されていました。

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大坂夏の陣図屏風です。にげまどう人々。
落城寸前の天守閣、合戦の模様が生々しく描かれています。
もともと豊臣家の家臣だった蜂須賀家政は、この戦で
息子の至鎮( よししげ )を幕府軍に加勢させました。
海部刀を振りかざした蜂須賀軍は敵の陣地をなぎ倒し、
ふところ深くまで斬り込みました。
蜂須賀軍は、斬り合う刀で敵の要塞の壁や
柵の破壊もおこないました。
海部刀は、まさに戦のなかでその力を最大限に
発揮するよう、つくられていたのです。

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戦いに勝利した家康は、殊勲をあげた者に出した
十の感謝状のうち、七つを阿波・蜂須賀軍に与えました。
蜂須賀藩は、大坂攻めの功により、
25万7000石の大名となりました。

戦乱は終わりを告げ、太平の世が訪れました。
しかし阿波藩は、海部刀をつくることをやめませんでした。

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これは1659年、江戸屋敷にいた
3代藩主 光隆(みつたか)が徳島の家老に送った手紙です。

公儀ご用品として
長さ 一尺六寸の海部刀150腰を
「鞘ごしらえ」をつけた上、至急送るよう と命じています。

蜂須賀藩は、
幕府要職や全国の大名のもとへ
海部刀を贈答品として  代々、送り続けました。
それは、外様大名の蜂須賀が
徳川家のために戦い、功をあげたことを、
幕府や全国諸藩に「忘れさせない」ためでした。

江戸時代、海部刀は、もはや戦(いくさ)の道具ではなく
藩の生き残りをかけた「外交上の武器」へと
変わっていたのです。

( 音 トリキリ ) 岡田さんインター

有名な正宗でもない。関の孫六でもない。
備前の長船でもない
海部らしさ、素晴らしい海部の自然の中で
海部の刀工が命がけで創造した海部刀があるということを
みなさんに充分理解していただいて
それが後世にまで継承、保存されていくようにと思う

海部刀は、
明治という新しい時代の到来とともに 次第に衰退し、
今ではその技術を受け継ぐ者もいなくなりました。

阿波で生まれ、全国にその名を知られた 海部刀。

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輝きを放つ鉄(くろがね)に
海部の山々や波の姿をとどめた、
ふるさとの宝物です。


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