2002/04/16 ふるさとの宝物 (3) 旧徳島城 表御殿庭園
第3回のけさは、国指定の名勝
旧徳島城 表御殿庭園です。
広さは一万五千坪、江戸時代初期の
完成当時のたたずまいを残す庭園です。
( VTR スタート )
藩政時代の象徴だった徳島城は
明治という
新しい時代の幕開けと共に、その姿を消しました。
城跡に残る 表御殿庭園は
桃山時代の豪壮な大名庭園の様式を
色濃く残す点で全国でも珍しく、
昭和16年、国の名勝に指定されました。郷土史家 福原健生さん
今、多くの庭園が江戸時代でも
こう、造った当時からいろいろと手を入れられているが
徳島城には、奥御殿の庭園とか西ノ丸お花畑の庭園とか
それぞれに、その時代時代のガーデニングをした庭が他にあったので
表御殿の庭園だけは手付かずで幕末まで残り、今に伝えられた。園内には
様式の異なる二つの庭があります。そのひとつ、
枯山水庭( かれさんすいてい )は
書院の庭としてつくられたものです。見る人の目を奪う、長大な一本の橋。
長さは、 およそ10メートル、
阿波特産の青石です。
このような大きな石が庭園に用いられているのは、
全国でも他に例がありません。
大きさ、豪快さを競った
戦国大名 好みの つくりです。
水のない池、そこに浮かぶ中島、
表現されているのは観念的な世界です。
中島は泳ぐ亀をかたどっていることから
別名亀島ともよばれ、
不老不死の仙人が住むという
中国の蓬莱山に見立てられています。中島に架かる橋が、真ん中で割られています。
この島が、何人も 渡ることの許されない
聖なる場所であることの証です。
勇猛果敢な戦国大名が、
神仏に深い畏敬の念を抱いていたことが伺えます。
枯山水庭の南側には客人をもてなす「 湯殿 」がありました。
ここからの眺めは、庭園の趣を一変させます。
遠近感のある構図はまるで一枚の絵のようです。蘇鉄が、異国情緒を醸し出します。
蘇鉄は江戸時代中期の絵図にも登場します。今からおよそ260年前の庭園のたたずまいです。
随所に蘇鉄が茂ります。
蘇鉄は別名 鳳尾蕉(ほうびしょう)とよばれ
室町時代から珍重されていた異国の植物です。
庭を飾る蘇鉄、それはまさに時の為政者の力の象徴だったのです。
枯山水庭とならぶ もうひとつの庭が
築山泉水庭( つきやませんすいてい )です。藩主の居間の庭として つくられたものです。
枯山水庭が抽象的な世界であるのに対し、
こちらは具体的な、写実の世界です。
山深くから 流れ出た水が
大河となって海に流れ込むまでが、表現されています。
ここにも阿波特産の大きな青石が使われています。
深山幽谷に分け入ったような眺め。
左右の石は、水門をあらわしています。
白い石はほとばしる水のしぶきです。
「石矢」(いしや)とよばれるノミ跡です。
切り出す際にできた、人の手の名残りです。築山泉水庭( つきやませんすいてい )は
池の水が 満ち引きする仕掛けがありました。
江戸時代、池と外堀をつないでいたのです。
満ち潮は 周辺の岩を飲み込み、
おだやかな趣を造り出します。
引き潮になると、
荒々しい岩が再び姿を現します。
見る人の、心を奪う趣向です。
一日二回、潮が庭の たたずまいを変えることから、
築山泉水庭は、別名、潮入庭園とよばれました。水辺には、
今は見られなくなった
満ち引きの跡がありました。
自然の景観に
巨大な石や珍しい植物などを配した庭園は
戦国大名の 力の表現であると同時に
自らの教養の「見せ場」でもありました。
旧徳島城 表御殿庭園。
今は見ることができなくなった藩政時代のたたずまいを
ただ一つとどめる、ふるさとの宝物です。