ohayomini.gif (1624 バイト) 徳島の20世紀 

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◇第1回 「明治の徳島」   

西暦2000年を迎え、21世紀に向け明治、大正、昭和平成と歩んできた徳島の激動の百年を写真や映像で振り返るシリーズの一回目。明治の徳島とはどんな「街」でどのような「時代」だったのか、残された写真や生活用品で当時を綴る。

◇第2回 「大正から昭和へ」  

徳島の大正・昭和(戦前)とはどんな時代だったのか。当時の県内各地を撮った貴重なフィルムと証言を元に”モダン都市・とくしまの光と陰”を検証する。

◇第3回 「河川交通の盛衰」 

河川に恵まれている徳島県は藩政時代から明治、大正にかけて陸上よりも河川による交通が盛んであった。吉野川を行き交った平田船。那賀川を下る筏流し、新町川の巡航船など、河川交通で賑わった徳島を当時の写真や証言によって紹介する。

◇第4回 「鉄道」 

◇第5回 「庶民の娯楽」 

浄瑠璃や村芝居から活動写真・テレビへ。20世紀は欧米文化の流入により、娯楽が花開いた世紀でもある。戦後、県内にも後に姿を消すことになる市営競走馬や水族館、アイススケート場など数々の娯楽施設が誕生した。この百年間で何が人々の心をつかんだのか、20世紀の大衆娯楽の歴史を振り返る。

◇第6回 「市町村合併」  

明治22年の市町村制施行時、140あった県内の市町村数は合併を重ねたことで現在は50となっている。庁舎を二年交代で引っ越ししたり、わずか二ヶ月で市の名称を変更したりと合併に伴うエピソードを紹介しながら、市町村合併の歴史を振り返る。

◇第7回 「徳島の偉人〜鳥居龍蔵」 

鳥居龍蔵は徳島市に生まれ、明治から昭和にかけて東アジア全域を探検調査して考古学・民俗学に不滅の業績を残した。波瀾の生涯を歩みながら

◇第8回 「戦争の世紀〜上八万村118名の戦没者」  

徳島市上八万町の有志が編集した「武勲録」という小冊子には名東郡上八万村当時の戦没者の履歴がしるされている。戦没者は日露戦争から太平洋戦争に至る百十八人。死亡者は二28人に1人の割合で、全国平均とほぼ同じ。日本の縮図といえる上八万村の戦没者を検証する。

◇第9回 「阿波きざみたばこの歴史」  

 

◇第10回 「学び舎〜小学校の100年」  

誰の中にも残る小学校の学び舎。この百年の間には”学び舎”もその姿を変え続けてきた。昭和初期の貴重なフィルムや写真などを紹介しながら”学び舎”の変遷を振り返る。

◇第11回 「製塩業」  

 かつて徳島には鳴門を中心い広大な塩田が広がり、最盛期には全国の1割を生産していた。しかしその塩田は三十年前にすべて姿を消した。なぜ塩田は消えたのか?専売制、技術革新、労働争議、マラソン・・・。塩田を舞台に繰り広げられた二十世紀の意外な歴史をひも解く。

◇第12回 「東新町の100年」  

 徳島市の東新町は、明治から昭和にかけて、県内随一の商店街として繁栄した。買い物客でにぎわった戦前や戦後の焼け跡からの復興などを、関係者の証言や当時の資料とともに振り返る。

◇第13回 山間部の学校 増川小学校 

 戦後のベビーブーム後、過疎化によって廃校に追い込まれた小学校徳島県内でおよそ百校。地域と深く結ばれた山間へき地の小学校にはさまざまなドラマがある。百年目に休校となった三好郡三好町の増川小学校にスポットを当てる。

◇第14回 徳島城址の100年 

 藩政時代の象徴だった城は明治になって取り壊され、城跡には多くの施設がたてられた。日本で2番目に生まれた徳島公園。総ヒノキ造りを誇った千秋閣、全国五指に入る規模だった西の丸運動場など、ひとびとの憩いの場となった城跡の100年を残された貴重なフィルムをまじえて振り返る。

◇第15回 特攻隊員の遺書  

 太陽戦争の末期、敗色濃い日本軍は戦局の転換を図るため、飛行機に爆弾を抱えるため、飛行機に爆弾を抱えたまま敵艦に体当たりする特攻作戦を敢行し、約四千人が戦死した。このうち徳島県出身者が遺族にあてた遺書や手紙などを通して、その方の人間像を探る。

◇第16回 銀行の100年 

 かつて徳島には資産力で三井銀行に次ぐ大銀行があった。第八九国立銀行も存在した。しかし、幾多の景気のうねりの中で姿を消したー。合併に破綻、現在の阿波銀行と徳島銀行に集約されるまでに県内の金融業界はどんな変遷をたどったのか?二つの銀行のルーツを探ると、知られざる歴史が見えてくる。

◇第17回 賀川豊彦 

 社会的弱者の救済に一生をささげ、「日本のガンジー」と呼ばれた賀川豊彦。徳島で過ごした少年時代から、スラム街での救貧活動、協同組合運動、キリスト教伝導など、数々の業績を残した賀川豊彦の生涯を振り返る。

◇第18回 養蚕・製糸 

 藍作の衰退後、徳島の経済を支えたのが養蚕と製糸業。良質の桑園に恵まれた徳島は西日本有数の養蚕県となった。なかでも鴨島町は、中小の製糸、蚕種業者が林立し、蚕都として賑わった。しかし高度経済成長以降、養蚕、製糸は衰退の一途をたどった。隆盛から衰退へ大きく揺れた養蚕、製糸の百年を振り返る。

◇第19回 大鳴門橋 

 大正3年、中川虎之助が鳴門架橋を初めて提案してから完成まで71年。大鳴門橋は、20世紀最大の県民の夢だった。しかしその悲願達成までの歩みは同時に政治の駆け引きや時代のうねりに翻弄され続けた歴史でもあった。今月で開通15周年を迎える大鳴門橋の完成までの道程を当時の映像をもとに振り返る。

◇第20回 われら少国民〜戦時下の教育 

 ”少国民”と呼ばれていた戦時下の小学校ではどのような教育が行なわれていたのか。太平洋戦争が始まった昭和16年から終戦までの間に使われた国定教科書をもとに当時の教育を振りかえってみる。スタジオに集まった当時の教師と少国民から話しを聞く。

◇第21回 高校野球の100年 

 県内と県外のチームがはじめて野球の試合を行ったのは1900年6月。以来百年間にわたって高校野球は県民に親しまれてきた。昭和17年・幻の甲子園大会での徳商の優勝、尾崎将司を擁した海南高の選抜優勝、池田高のさわやかイレブンの活躍と夏春の連覇など徳島の高校野球の歴史を資料と関係者のインタビューで振り返る。

◇第22回 満蒙開拓団の悲劇 

 昭和七年、日本が中国の一角に満州国を成立させて以来、国策として移民を呼びかけ、昭和二十年八月の終戦までに32万人を移住させた。しかしソ連3戦で大混乱に陥り、関東軍の保護もないまま”棄民”として悲劇の逃避行となった。無事に故国の銃を踏めた元開拓民の証言を聞く。

◇第23回 戦時下の反骨教師 深井源治 

 昭和十一年、旧制徳島中学校の新校長に就任した深井源治は軍国主義の嵐が日本中を吹き荒れる中、学問・教育の自由を守ることに全力を尽くした。軍の圧力に屈することなく生徒たちを勉学に向かわせようとしたその信念は半世紀をすぎた今もなお多くの人に語り継がれている。校長として深井が行った教育とはどういうものだったのか、当時の関係者の証言などを交えて紹介する。

 ◇第24回 戦意高揚・歌で標語で  

  「欲しがりません勝つまでは」「すすめ一億火の玉だ」戦時中のこれらの国策標語はすべて国民の戦意高揚が目的だった。また「愛国行進曲」などの当時の流行かも国民を戦争へと駆り立てた。街にはんらんしたこれらの標語や歌をたどると、軍部の独走によってどれだけ国民が犠牲にされたか見えてくる。

◇第25回 戦時下の生活 

 日中戦争、太平洋戦争と日本が国力の全てを戦争につぎ込むなか、ひたすら我慢を求められた国民の暮らしは悪化の一途をたどっていった。厳しい統制を受けた戦時下の生活を、配給された食糧の再現や当時の生活用品の紹介、それに体験者の話しを通して振り返る。

◇第26回 銃後の守り 

日中戦争から太平洋戦争にかけての軍事優先体制の中、国民は厳しい耐乏生活を強いられる一方、戦時体制を支える役割をも求められた。町内会や隣組といった組織ごとに米などの供出、防空防火訓練、慰問袋作り、出征兵士の歓送など様々な活動に取り組んだ。戦時体制を支えた人々の生活、”銃後の守り”について、当時の写真や資料、体験者の証言をもとに振り返る。

◇第27回 貞光町報に見る戦時教育 

昭和12年の日中戦争から終戦一年前の昭和19年6月まで発行し続けられた「貞光町報」。4代に厳しくなってくる戦局の中で、広報誌は義勇軍の募集や、軍需物資供出の呼びかけなど町民の戦時教育に力を発揮した。貞光町報の内容を紹介するとともに、当時町報に載った人たちを訪ねる。

◇第28回 阿波踊りの100年 

昭和34年のニュースフィルムに映された女踊りは両手を肩の高さで上下させ、指先もだらりと下を向いている。現在の踊りとはかなり異なっていることがよく分かる。先祖の霊を慰める精霊踊りが、その起源といわれる「阿波踊り」は時代に移り変わりとともにその姿を変えてきた。明治から現在まで、庶民とともに歩みつづけてきた阿波踊りの百年を残されたフィルム映像などの資料をもとに振り返る。

◇第29回 敗戦・どん底の生活 

敗戦後は満州や朝鮮などから米の輸入がなくなったため食糧事情は戦時中よりもさらに悪化した。イナゴを焼き、芋のツルを食べ・・・。特に空襲で被害を受けたとくしま市民は農村へ買い出しに出掛け、大切にした衣類を次々と食料に交換した。復興の砂ぼこりの中でどん底をはっていた人々の生活を体験談をもとに振り返る。

◇第30回 敗戦・ヤミ市の時代 

敗戦直後、焼け野原となった徳島駅前には、バラック建ての”ヤミ市”が建ちならんだ。物不足の中、このヤミ市では食料をはじめ大抵のものが手に入った。しかし、敗戦からの復興の時代を象徴した場所だったヤミ市は、やがて記憶の底に埋もれていった。当時を知る人々の証言などをもとに”徳島のヤミ市”の実態に迫る。

◇第31回 進駐軍の時代 

昭和20年11月、徳島県にも進駐軍がやって来た。県庁に軍政部が陣取り、完全な占領下に置かれた。県民は進駐軍をどんな気持ちで迎え入れたのか。進駐軍にチョコレートをもらった池田町の男性の体験談や、日本人女性と結婚し徳島で生涯を終えたオーストラリア軍人のエピソードなどを振り返る。

◇第32回 教育の民主化 

昭和20年8月15日の終戦を機に日本の教育はこれまでの天皇を中心とした超国家主義・軍国主義を否定、個人の尊厳を重んじた民主主義教育へと180度転換した。終戦直後の”スミ塗り教科書”や日本歴史地理の回収・廃棄処分などの混乱期から新しい教科書の誕生や六・三・三制など教育改革の基盤がほぼ整った昭和24年までを対象に当時の教師や児童・生徒から民主教育の芽生えについて振りかえってもらう。

◇第33回 高度成長期 

昭和30年から昭和48年までの20年近くにわたり日本は、毎年10%前後の経済成長を続けた。県内も県都徳島市を中心に建設ラッシュとなったほか、テレビ・冷蔵庫などが急速に普及し暮らしは豊かになっていった。高度成長期の徳島を当時の映像で振り返る。

◇第34回 過疎 

昭和三十年代から四十年代にかけての高度経済成長の影で、農山村では過疎が進行していた。人々は、なぜ住みなれた村を出なければならなかったのか。県内の過疎の歴史を、かつての農山村の映像や写真とともに振り返る。

◇第35回 公害の時代 

昭和四十年代に日本各地で深刻化した公害問題。県内でも今切川の異臭魚やPCB・水銀汚染、阿南のクロム禍、鳴門の赤潮・重油流出による汚染などが相次いで社会問題となった。当時は厳しく企業責任も問われたが国民には”物質的豊さこそすべて”という経済至上主義の転換が迫られた。公害問題が構成に残したものは何なのか?灰色の時代を振り返る。

◇第36回 オイルショック 

昭和48年10月の第四次中東戦争の勃発によって、日本の経済はパニック状態となった。物不足、便乗値上げ、売り惜しみ、そして狂乱物価。オイルショックに揺れた当時の徳島と関係者の証言で振り返る。

◇第37回 広告の100年

明治の新聞、大正のラジオ、戦後のテレビ、とメディアが多様化するにつれ「広告」より暮らしに浸透してきた。「広告」はその時代を映す鏡であるといえる。「とんま天狗」「かしまし娘のキンツルラーメン」など、なつかしいCMや昔の広告を紹介し、当時の世相をふり返る。

◇第38回 消えて行く伝統芸能・行事 

この百年間、徳島でも数え切れない程の民俗芸能や伝統行事が消滅したり、まさに消えようとしている。箱廻しや天神祭りの舟渡御、徳島市住吉神社のお田植え式など四国放送に残されている古いフィルムから消えてゆく原因や背景を探る。一方、今後こうした伝統芸能・行事を保存・記録し、復活させる方法も考える。

◇第39回 藍の盛衰  

江戸時代中頃から吉野川流域に広まった藍作。阿波藍は質、量ともに日本一を誇り、巨万の富を得た藍商人はその財力を背景に銀行や鉄道などをつくり、徳島の近代化に貢献した。しかし20世紀の幕開けとともに藍は衰退する。なぜ阿波愛は売れなくなったのか?そして構成に何を残したのか?藍の盛衰が21世に伝えるメッセージを探る。

◇第40回 三木武夫  

徳島県出身ではただ一人の首相、故・三木武夫にスポットをあてる。金脈問題で倒れた田中角栄内閣の後を受けた三木首相は、「クリーン政治」をとなえたが、ロッキード事件で揺れる自民党内では「三木おろし」の逆風にあえいだ。衆議院議員19期連続当選、在職51年余の「議会の子」三木武夫が目指したりそうの政治とは何だったのか、当時の映像や関係者の証言で振り返る。

◇第41回 道路の変遷  

人々の生活は、道路の発達とともに大きく移り変わってきた。大正以前は人の移動が中心だった「道」は昭和に入って人や物の運搬を担う事が中心の「道」となり、道路と人との関わり方も大きく変化した。県内の道路の移り変わりを映像や写真などをもとに考える。

◇第42回 幻のプロジェクト  

この百年間、各地でさまざまな事業が行われてきた一方、計画段階で中止となり忘れ去られていった事業も数多く存在する。大正時代の県庁移転計画や、着工寸前でとん挫した勝浦鉄道、蒲生田岬の原発、さらにはJリーグ誘致まで幻と消えたプロジェクトの数々を振り返る。

◇第43回 検証・太平洋戦争〜県出身兵士の足跡(1)  

今世紀は戦争の世紀と言われる中で、とりわけ太平洋戦争は、日本にとって大きく変革するきっかけとなった。徳島県からも大勢の兵士が戦場に赴き、2万8,245人が戦死した。12月8日の開戦記念日を控え、きょうから3日間、九死に一生をえて無事帰還した元兵士の証言を元に「戦争」について考える。一日目はミドウェー海戦の体験者と中国戦線の元兵士。

◇第44回 検証・太平洋戦争〜県出身兵士の足跡(2)  

徳島市に連隊本部があった歩兵43連隊は満州、虎林からビルマ戦線へ兵を派遣した。敗走を続け、「白骨街道」と呼ばれた極限状態の中でかろうじて生還することができた元兵士の証言。軍属でありながら斬り込み隊に同行したフィリピン戦線の話。また、死亡率96%の中で奇跡的に助かった歴戦の元パイロットの証言など。

◇第45回 検証・太平洋戦争〜県出身兵士の足跡(3) 

59年前のきょう、運命の太平洋戦争が始まった。県出身兵士の足跡。最終日はグアム島のゲリラ戦の末、捕虜になった人。沖縄戦で両大腿部貫通銃創を負い、傷痍軍人になった人。同じく沖縄戦で組織的な千頭が終わってからも逃亡を続け、人肉を喰べさせられそうになった人の証言など。また、侵略戦争についての考えや公設慰安所の存在についても証言する。

◇第46回 事件・事故 

人々の夢や希望を一瞬にして奪い去る事件・事故。20世紀は、メディアの発達で各地の事件事故を速く、簡単に知ることができるようになり報道の大きな部分を占めるようになった。県内で発生した重大事件事故を、歴史に残るえん罪事件となった徳島ラジオ商殺し事件を軸に振り返る。

◇第47回 災害の100年 

昭和21年の南海道地震をはじめ、毎年のように襲来する台風、大雨による風水害など、この百年間は人々にとって自然災害との闘いの歴史でもあった。県内に大きな被害をもたらした災害を映像で振り返る。

◇第48回 徳島の20世紀・総集編 

シリーズ最終回。これまでに紹介した貴重な映像や資料をもとに徳島が歩んだ百年をもう一度たどる。藍、戦争、徳島大空襲、敗戦、高度成長、公害、過疎・・・。私たちはどう語り継いでいけばいいのか。20世紀をふりかえる最後のチャンス、歴史が残した21世紀へのメッセージをさぐる。


おはようとくしま 四国放送開局50周年 〜六人の知事が残したもの


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