2000/12/07
徳島の20世紀 〜44〜

さて、徳島の20世紀太平洋戦争における県出身兵士の足跡、2回目として
ビルマ戦線とフィリピンなど南方戦線でかろうじて生還することができた元兵士の証言をお伝えしてまいります。

昭和17年8月。
米軍はガダルカナル島上陸により一気に反抗に転じました。
三次にわたるソロモン海海戦などを経て日本軍は益々不利な戦況に追い込まれて行きました。

昭和18年2月。
遂に日本軍はガダルカナル島から撤退、
まず、アッツ島の玉砕に始まって
次々と重要拠点を失いました。

起死回生をはかるためとられたのが
昭和19年のビルマ戦線におけるインパール作戦でした。
その陽動作戦に加わったのが
郷土部隊の143連隊です。

(VTR)
小笠原堅一さんは第二大隊機関銃中隊に所属していました。
ところが、
インパール作戦は失敗、
小笠原さんの部隊は敵中突破して
敗走を続けるころになります。

証言:小笠原堅一さん(79)

(スタジオ)
歩兵第43連隊からビルマへ派遣された143連隊は
総人員5千239人でしたが
80%にあたる4千196人が戦死しました。
無事復員できたのは20%弱の1千043人でした。

(VTR)
徳島市中吉野町の
日根高雄さんもビルマ戦線で辛酸を舐めた一人です。

証言:日根高雄さん(83)

ビルマでは県出身兵士6,216人が戦死しています。

当初、南方の島々は日本軍が抑えていましたが
物量に勝る米軍を中心とする連合軍の巻き返しにあい
日本軍は次第にジャングルへ追い込まれることになります。
フィリピン戦線も同じ道をたどりました。

(VTR)
板野郡藍住町の樽家圓一さんは
兵士ではなく、軍属としてフィリピン戦線へと
駆り出されました。

証言:樽家圓一さん(76)

(スタジオ)
太平洋の島々では
日米の死闘が繰り返されました。
ソロモン群島のガダルカナル島の近くに
ニュージョージア島があります。
この島にも県出身の兵士がおりました。

(VTR)
阿波郡阿波町の秋山治行さんは
満州・虎林の43連隊から
名古屋34師団230連隊へ転出し
中隊長として昭和18年7月
ソロモン群島のニュージョージア島へ上陸しました。

証言:秋山治行さん(90)

(スタジオ)
日本軍は戦線の拡大で武器、弾薬、
それに食料の補給が続かず
飢えと風土病に苦しめられました。

さて、次にご紹介しますのは
歴戦のパイロットです。
同期のパイロット70人中、
生き残ったのはわずかに3人という修羅場を
くぐってきました。

(VTR)
徳島市国府町の領家高蔵さんは
昭和12年、海軍に志願。
昭和15年第55期海軍飛行練習生に合格。
以後、パイロットとして
中国から南方の大空を駆けめぐりました。

証言:領家高蔵さん(80)

(スタジオ)
検証・太平洋戦争。
3回目のあすは
グアム島と沖縄の戦闘からかろうじて
生還した方々の証言をお聞き下さい。


資料提供 (敬称略)

司会
遠藤彰良、喜多ちひろ

制作 
胡田俊一