2000/11/16

徳島の20世紀 〜41 道路の変遷

徳島大学大学院 教授・近藤光男さん

(スタジオ)

私たちの後ろにあります写真は、明治40年頃、今から約100年前の城山を中心とした徳島市内を撮影したものです。

この写真をご覧になってお気づきの方も多いと思いますが、はっきりとわかる広い道、現在の国道のような幹線道路は当時、ありませんでした。

けさは、「道路の変遷」についてお送りします。

さて、まずは私が100年前当時、阿波の五街道と呼ばれた県内の道路事情について取材してきました。

(VTR)

徳島城博物館学芸員・根津さん

江戸時代に描かれた絵図の中に鷲の門が阿波の街道の起点だったことがはっきりと示されています。

その一つ、鷲の門を出発して富田橋そして新町橋を渡り西へ向かう街道は伊予街道と呼ばれました。

これは、明治40年頃撮影された徳島中央公園前の風景です。

藩政時代、徳島と讃岐や伊予そして土佐との間をつないだ五街道は現在の国道や県道と重なるところも多く今なお、人々の生活を支える道となっています。

リポート

(スタジオ)

こちらが藩政時代から明治にかけての県内の主な街道を表にまとめたものです。

さて、けさは、街づくりや交通の問題に詳しい徳島大学大学院教授の近藤光男先生にお越しいただいています

近藤先生へのインタビュー

時代によって人と道路との関わり方が少しずつ変化してきたと言うことですが道路が人々の生活に大きく影響してきたのは変わりありません。

この明治時代の写真からは現在の国道192号、当時の伊予街道を確認することはできません。

その国道192号の移り変わり、そして国道55号と商店街との関係を取材しました。

(VTR)

昭和30年頃の蔵本運動公園です。

昭和28年に行われた第8回国民体育大会の会場として整備され、市内中心部からこの場所につながる道路、通称、国体道路があわせて整備されました。

これは、昭和36年に撮影された佐古地区の国道192号です。

国体道路して完成した後も徐々に道幅が広げられ、この映像が撮られたあたりはすでに拡張工事を終えているようです。

現在からは想像できない、ゆったりとした国道です。

これは、現在の192号の様子。

道路の両側にある建物がずいぶん高くなっているのがよくわかります。

リポート

これは、現在の佐古6番町から蔵本までの間の国道192号で行われた拡張工事の起工式の模様です。

昭和37年3月9日、当時の原菊太郎知事らがくわ入れをしました。

当時の佐古6番町付近は道幅がごらんのようの狭さで
大きな車が対抗するのにやっとという状況でした。

リポート

この映像は、道路拡張工事の起工式から1年と少したった昭和38年4月のものです。

立ち退きが進み、取り壊された建物もたくさん見えます。

車の数も年々増え、道路も相対的に狭くなっていた頃です。

完成当時は広く感じられた道路も狭く感じるようになり現在へと至っています。

リポート

一方、かって小松島の中心商店街として賑わった二条通りは、港の衰退もあって人通りも減り今ではシャッターを下ろしたままという店も少なくありません。

リポート

昭和10年、眉山から見た八万町の風景です。

街にとっての道路の重要性を示すのがこの写真です。

34年後、立派な街が道に沿って生まれました。

そして現在。以前の場所から写真は撮れなくなりましたが変化はわかっていただけると思います。

(スタジオ)

近藤先生へのインタビュー

では、道路に関係したなつかしい映像をいくつかごらんいただきます。

(VTR)

徳島から県南へと向かう国道55号は昭和7年、徳島と小松島を結ぶ産業道路として生まれました。

70年が経っていまは、この交通量です。

国道55号は、昭和30年代後半から40年代にかけて整備されました。

この映像は海部郡海南町での工事の様子で多くの坂があり交通の難所とされていたこの場所も舗装されたきれいな道路へと生まれ変わりました。

この場所、どこかおわかりでしょうか。

若い人たちには想像できないかも知れませんが徳島市の徳島町と幸町を結ぶ立体交差です。

工事の前と後、こんなにも風景が違います。

当時はまだSLが走っていました。

県内で初めての立体交差として建設されたこの徳島立体交差は、当時のお金で1億5千万円をかけて行われました。

竣工は昭和36年3月30日。

当時の原知事らがテープカットをして完成を祝いました。

昭和42年3月。

県内で初めての歩道橋が徳島市八百屋町に完成しました。

その後、至る所につくられましたが最近は不人気で撤去されるケースも出ています。

昭和46年8月。

鳴門有料道の竣工式の様子です。

当時の谷市町らの姿が見えます。

19億6千万円かけて作られましたがその後、無料化されました。

リポート

長い間、高速道路ゼロメートル県と呼ばれた徳島も平成6年3月、藍住・脇間が開通。

今年3月には徳島市も他の四国3県の県庁所在地と高速道路で結ばれ徳島も遅ればせながら高速時代を迎えています。

(スタジオ)

徳島県は平成6年に徳島自動車道 藍住・脇間が開通するまで全国唯一の高速道路ゼロメートル県という有り難くない呼び方をされていました。

しかし、徳島道が全面開通した今も平成10年4月現在、国道と県道を合わせた改良率は59.7%舗装率は47.6%で全国45位と整備は遅れているのが実状です。

近藤先生へインタビュー

けさは、「道路の変遷」ついてお伝えしました。


資料提供 (敬称略)

司会
遠藤彰良、宗我部英久、喜多ちひろ

制作 
井上彰夫