2000/10/19
徳島の20世紀 〜37 広告の100年
動画を再生できます。 Real Audio 明治時代からの看板 鴨島町・曽川薬品 動画を再生できます。 Real Audio 引き札 新聞広告 動画を再生できます。 Real Audio 四国放送ラジオ開局昭和27年 津乃峰CMソング
テレビ34年動画を再生できます。 Real Audio 四国放送テレビCM ヤングミコ、徳島自動車センター。金長饅頭アニメーション制作現場 静止画をごらん下さい。
徳島自動車センターCM(昭和42年) ヤングミコ・コクテールミコCM(昭和39年) 四国放送開局(昭和27年) ラジオ公開録音「金の歌銀の歌」(昭和34年) 新聞広告昭和15年正月 慰問広告 テレビスタジオ風景 テレビカメラ 2000/10/19
徳島の20世紀 37回「広告の100年」
(VTR)
これは昭和37年、大手ビール会社が行った
広告キャンペーンの様子です。
リモコンの熊がワゴンを押すその姿は、
道行く人々のの注目を集めました。
広告は「時代を映し出す鏡」
そこには、当時の世相とともに
時代を生き抜いてきた人々のくらしぶりを
みることができます。
(スタジオ)
毎週シリーズでお送りしています徳島の20世紀
37回目のけさは「広告の100年」です。
ごらんのように、この百年間でさまざまな広告が登場しました。
<明治時代の看板を紹介>
明治の新聞、大正のラジオ、そして戦後のテレビと
メディアが多様化するにつれ広告は
私たちの暮らしに深く関わりを持つようになりました。
広告は時代を映し取る鏡であるといわれます。
けさは、なつかしいテレビコマーシャルや広告を紹介し、
当時の世相や人々の生活ぶりを振り返ってみたいと思います。
それでは、「広告の100年」
まずは、明治時代からみていくことにしましょう。
(VTR)
明治時代、文明開化の波は徳島にも届きました。
西洋から技術や制度を取り入れて近代化をすすめ
人々の暮らしは大きく変わってゆきました。
当時の新聞広告は新しい時代の到来が見て取れます。
これは、ピストルの広告です。
明治維新以来、刀を持つことを禁じられたため
かわりに銃をすすめています。
こちらは自転車の広告です。
明治時代、自転車は外国からの輸入品がほどんどでした。
値段は140円から300円。
当時は100円で家が建ちました。
自転車は、庶民には遠く手の届かない存在だったのです。
たばこの広告です。
ハイカラな洋服姿は人々の憧れでした。
「どうやってお客の心をとらえるか」
デザインにも工夫を凝らします。
宣伝文句にも、ついつい力が入ります。
(リポート)
鴨島町東新町・曽川薬品(薬局)にある看板
看板とならんでもう一つ
明治を代表する広告がありました。
三舟さん宅・引き札
チラシ広告の一種です。
お店や商品の名前をいれてお客さんに配ったもので
昭和のはじめ頃まで盛んにつくられていました。
絵は昔話の一説など庶民的なテーマが選ばれています。
これは、牛若丸です。
つくったのは鳴門市撫養町の履き物屋です。
大正時代にはモダンな絵柄が登場しました。
日華事変が起こった昭和の初めには
戦争を題材にしたものも登場しました。
(スタジオ)
<明治時代の引き札>
<ホーロー引きの看板>
<新聞広告>
昭和6年の徳島毎日新聞に掲載された
徳島市バスの広告です。
コピーが「市バスは、市民の下駄です。」
バスの回数券を買うと景品が当たった。
一等商品は玄米15俵
あと洋服ダンスや麻雀テーブルもありました。
こちらは、昭和15年の元日の新聞広告です。
この写真は富町と内町、蔵本の芸子さんです。
これは、戦争中の慰問広告です。
翌昭和16年には太平洋戦争が始まります。
中国大陸では戦争まっただ中でした。
続いては、戦後の広告についてみていきましょう。
(VTR)
昭和20年、徳島は灰とがれきの中から立ち上がりました。
町は再び息を吹きかえしました。
戦争の傷跡もようやく癒えた昭和27年
徳島に新しいメディアが登場しました。
ラジオです。
全国で
13番目の放送局として四国放送が誕生したのです。
このころラジオから聞こえてきたのが
このコマーシャルソングです。
「津の峰CM」
昭和34年、四国放送のテレビが開局しました。
徳島にも本格的なテレビ時代が訪れました。
皇太子のご成婚を景気にテレビは驚異的な普及を遂げます。
昭和31年年間31万台だったテレビの受像契約台数は
一気に287万台にまで達しました。
成長著しいテレビメディアにいち早く注目した
ある企業家がいました。
元大塚製薬グループ相談役 大塚正士(故人)さんです。
大塚さんは一代で大塚製薬を業界トップにまで育て上げた人物です。
昭和34年、大塚製薬は大規模なテレビ広告に乗り出します。
その最初のテレビ番組が
日本全国を笑いの渦に巻き込みました。
とんま天狗(昭和34年10月〜35年12月)
大村崑、芦屋小雁
番組は30%を超える高い視聴率を記録し、売上も陪増。
テレビメディアを使った広告は大成功を収めました。
「オロナイン軟膏」
この後も大塚製薬は有名タレントを起用した
テレビコマーシャルで話題となりました。
浪花千栄子。土田早苗。松山容子。
煙突のコマーシャルも長年人気のコマーシャルでした。
「サラリン」
後に、大塚さんはテレビ広告に注目した理由を
次ぎのように述べています。
「新聞は目には見えども耳に聞こえず、
ラジオは声は聞こえても目に見えぬ、
しかしテレビは目に見えて耳にも聞こえる。
これ以上の媒体は今後も出ないと判断したのです。」
一方、テレビは広告メディアとして高い評価を受け
広告の量も増えてゆきました。
これは、昭和28年から30年間にわたる広告費のシェアを
媒体別に示したものです。
昭和28年、65%あった新聞広告は減少をたどり
昭和60年には28%にまで落ち込みます。
その反面、テレビ広告のシェアは急増し
昭和50年には新聞広告をおさえ、トップの座につきました。
テレビが黄金時代を迎えようとしていました。
(昭和36年 第二室戸台風)
昭和36年、大型の台風が襲来し、
徳島でも大きな被害を出しました。
大手電機メーカーのこんなコマーシャルが放送されました。
松下電器CM 昭和30年代
高度成長の追い風を受け、徳島でも
様々なコマーシャルが登場しました。
徳島製粉 昭和42年 かしまし娘
栄町ヤングミコ 昭和39年
徳島自動車センター
これは四国放送のCM制作現場です。
果敢にもアニメーションの制作に取り組んでいます。
ハレルヤ製菓
昭和43年
(スタジオ)
司会者感想
資料提供 (敬称略)
司会
遠藤彰良、宗我部英久、喜多ちひろ制作
芝田和壽