リアル・オーディオ
JRTニュース映像から オイルショックのころのできごと(音声なし)
昭和48年11月、徳島市内のスーパーマーケットで
撮影されたニュースフィルムです。
品薄と言われたトイレットペーパーを買おうと
押し寄せた人々の姿は
高度成長に酔いしれていた当時の日本、
そして徳島を大きく揺るがしたできごと、
オイルショックの象徴でした。
(スタジオ)
シリーズ・徳島の20世紀
36回目のけさは
昭和48年秋、当時の日本を激しく揺さぶった
オイルショックです。
スタジオには、当時県の消費生活コンサルタントの
第1号としてオイル色の最前線で活躍していた
徳島大学家政学部教授の川田玲子先生に
お越しいただいています。
(川田先生へインタビュー)
オイルショックのあった昭和48年とは?
(VTR)
昭和48年5月。
徳島の話題をさらったのが
穴吹山中でのオロチ騒動です。
大蛇探検隊が二度に渡って探索しましたが
ついに見つかりませんでした。
この当時の徳島市の大きな課題となっていたのが
国府町でのゴミ焼却場の建設です。
後に法廷での決着へと持ち込まれました。
森永乳業徳島工場が製造した粉ミルクによる
中毒事件の判決がこの年の10月下されました。
時間の発生以来18年ぶりの大きなできごとでした。
昭和48年10月6日。
イスラエル軍とエジプト、シリア軍がスエズ運河東岸と
ゴラン高原で衝突。この第四次中東戦争を契機に
アラブ諸国は原油価格の値上げを宣言。
この日本から遠く離れた地域での戦争が
その後の日本を大きく揺るがすオイルショックの
発端となりました。
そして、10月末から11月始めにかけて
いわゆるトイレットペーパー騒動が
全国各地で相次ぎました。
「物不足」の噂はあっという間に広がり
兵庫県では行列に押された女性が大けがをするという
事件まで起きました。
物不足騒ぎは次々と他の品物へも広がっていきました。
合成洗剤や砂糖をはじめあらゆる生活必需品が
不足状態となり銭湯の入浴料や整髪料も
軒並み値上がりしました。
オイルショックは
高度成長期に普及した車社会を直撃しました。
ガソリン、灯油、タクシー用の燃料なども不足しました。
昭和48年の末には、県内のほとんどのガソリンスタンドが
1回10リットル程度に給油制限し、1日の予定量を
売り尽くすという昼過ぎにも閉店するという状態でした。
価格もオイルショック前には
1リットル60円から65円程度だったのが
年末には85円前後となり
中には100円近くというところもありました。
さらに、政府は11月16日。
「石油緊急対策要綱」を閣議で正式決定。
企業への一律10%の石油、電力供給削減や
家庭へのマイカー自粛などを要請しました。
オイルショックは徳島県民をがっかりさせる
ニュースをもたらしました。
昭和48年11月25日に予定されていた
大鳴門橋の着工の延期です。
「総需要抑制」を理由に、予定の5日前になって
突然延期された大鳴門橋の着工。
県民にとってはまさに「青天の霹靂」で
実際に着工されるまで
このあと2年の歳月を要します。
リアル・オーディオ
当時本四架橋担当課長だった谷崎貞一さん
物不足は県民生活へも様々な影響を及ぼし
ガソリンスタンドは日曜祝日が休業となりました。
また、買い占めや売り惜しみといったケースも
相次ぎ、県が設置した生活110番には
そうした苦情も少なくありませんでした。
(スタジオ)
(川田先生へインタビュー)
リアル・オーディオ
徳島文理大学・川田玲子教授の当時の思い出
(家政学部消費生活論)
その他に「トイレットペーパーは1パック4ロールで100円(一つ25円)がバラ売りになって70円まで上がった。」との話も
オイルショックの時代を年表にまとめました。
昭和48年
10/ 6 第四次中東戦争始まる
10/23 メジャー、原油価格30%値上げ
11/ 2 通産省、買いだめ自粛呼び掛け
11/16 政府、石油緊急対策要綱を決定
11/20 大鳴門橋起工式延期
11/23 ガソリンスタンドが日曜祝日休業
12/ 1 深夜タクシーストップ
12/ 7 県の緊急対策本部が発足
12/17 石油あっせん相談所に殺到
12/25 OAPEC、日本は「友好国」
昭和49年
1/12 福田蔵相「物価は狂乱状態」
1/16 NHK、深夜放送打ち切り
1/17 「生活110番」設置
1/18 政府、灯油などに「標準価格」を設定
昭和48年10月6日
イスラエルとエジプト、シリアが戦った
第四次中東戦争が勃発。
オイルショックの発端となりました。
続いて原油価格が急激に値上がりし
日本では物価が高騰します。
各地で物不足、買いだめ騒ぎが起こり
11月2日には通産省が買いだめの自粛を呼びかける
異例の事態となります。
11月16日、政府は石油緊急対策要綱を決定し
マイカーの自粛や企業の石油・電力消費10%削減を
呼びかけます。
一方、県内では
11月20日、大鳴門橋の着工が突然延期され
県民は大きく失望されます。
ガソリンスタンドの日曜祝日の休業、深夜の
タクシーストップなど経済の混迷が深まる中、
12月7日、県庁に緊急対策本部が設けられます。
そして12月25日。政府のいわゆる資源外交が
実を結んだ形でオアペック(アラブ石油輸出国機構)が
日本を友好国と認め一応、原油の供給が約束され
事態は落ち着きを取り戻し始めます。
しかし、物価の高騰は続き
翌昭和49年1月には、当時の福田赳夫大蔵大臣が
「物価は狂乱状態」と発言し
狂乱物価ということばが大流行しました。
(川田先生へインタビュー)
☆クリックすると拡大表示できます。
消費者物価の上昇率のグラフをごらん下さい。
昭和48年、49年のこの上がり方は
普通でないというのがよくわかっていただけると思います。
前の年の同じ月の比較の平均で48年は
11.7%、49年は23.2%と突出しています。
ちなみにイラン革命を契機に起きた
第二次オイルショックの昭和54年は
比較的小さな上昇にとどまっています。
この急激に物価が上昇した昭和48年当時から
家計簿をつけ続けているという
主婦の方にお話をうかがいました。
リアル・オーディオ
長尾栄子さんの家計簿に見る物価高騰
(VTR)
小松島市中田町の主婦・長尾栄子さんは
会計簿を利用して計画的な生活を送ろうというグループ、
徳島友の会に入って30年になります。
昭和48年のオイルショック当時は3年間の
松山市での転勤生活から徳島へ帰ってきて
すぐという状況でした。
長尾さんに当時の会計簿を見せていただきました。
10月に1キロ85円で購入した砂糖の価格を
比べたところ11月には220円となっていました。
他の品物も多くが値上がりしていました。
☆クリックすると拡大できます。
これは、オイルショック当時県の物価モニター100人が調べた白砂糖とプロパンガスの価格の移り変わりです。例えば、8月には白砂糖1kgを100人のモニターの内最も安く買った人が89円で高く買った人が160人で100人の平均が147円だったということです。
白砂糖では11月には90円から220円、12月には220円から260円となっています。
またプロパンガスは11月までは最高額は1100円で同じですが最低額が少しずつ値上がりし12月には最高額も1500円となり11月、12月頃値上がりが最も激しかったことがわかります。
この物価の急上昇に加え、品不足による社会不安もありました。
オイルショック当時の流行語
「狂乱物価」:福田大蔵大臣の発言から
「千載一遇」 石油会社の当時の販売方針だと国会で暴露され社会的な避難を浴びました。
オイルショックをなんとか乗り越えた日本は様々なことを学び対策を講じました。
そのひとつが石油への依存度を下げることでした。
オイルショック直前の昭和45年は石油発電は全体の約6割を占めていましたが
最近は原子力などの比重が高まっています。
オイルショックそのものは実体のないものにおびえて人々が大騒ぎしてしまったという見方もできると思うのですが社会学の立場から徳島大学の樫田助教授に聞きました。
リアル・オーディオ
徳島大学・樫田美雄助教授のコメント(社会学)
相互依存が高い社会。リスク社会に生きることの教訓だった。
オイルショックは高度成長を行き詰まらせ、
結果として日本の政治と経済の大きな転機となりました。
けさは、徳島の20世紀の36回目「オイルショック」を振り返りました。