2000/10/05
徳島の20世紀 〜35 公害の時代

ご覧いただいているのは今から30年前、
昭和46年の「おはようとくしま」第一回の放送の様子です。

取り上げたテーマは
今切川の「異臭魚」の問題でした。

高度経済成長、真っ只中の昭和40年代当時、
公害は日本中の国民を巻き込んだ社会問題でした。

「おはようとくしま」でもその後
県民の立場にたって再三、公害問題をとりあげてきました。

しかしその公害問題も20世紀の歴史の1ページとして
振り返るときがやって来ました。


 ↓リアル・オーディオで動画と音声を再生できます。
リアル・オーディオ
  • 昭和32年東亜合成(株)操業開始
  • 昭和33年日清紡績(株)操業開始
  • 昭和39年新産業都市に指定
  • 異臭漁
リアル・オーディオ
  • 川内漁協 元組合長・岡敬一さん74歳
リアル・オーディオ
  • 昭和46年工場排水を調査
  • 昭和47年「主な原因は東亜合成の工場排水」新聞記事
  • 日新紡績や新日本理化の工場排水も関連
  • 昭和47年PCB、48年水銀検出
リアル・オーディオ
  • 「魚はどれも安心して食べられない」
  • 昭和47年「おはようとくしま」インタビュー・梅津龍太郎
  • 市場関係者「鳴門の養殖ハマチは絶対心配ない」
    「確証を求められたら絶対とは言えない」

 

リアル・オーディオ
  • 東亜合成
    過去11年間で0.9tの水銀排出
    1週間の操業停止
  • 昭和48年7月5日県産魚介類に安全宣言
  • 会社が3億5千万円を漁業関係者に支払い妥結
  • 大気汚染
  • 昭和48年1月7日
    工場の煙が原因の気管支炎、ぜんそく患者69人
  • 「公害防止協定」を締結
リアル・オーディオ
  • 工場排水や急増した生活排水が原因
  • DO(溶存酸素)がゼロ
    5ppm以上で魚が生息可能
  • 死の川 「ヘドロ平均1メートル」
  • 昭和43年8月 新町川に脱臭剤
  • 産業排水の規制や汚泥のしゅんせつを実施
  • 昭和55年新町川浄化ポンプ場
    →新町橋下でDO4.3ppm
  • 昨年のDOは5.0ppm
リアル・オーディオ
  • 日本電工徳島工場
    昭和44年・県、阿南市が誘致
  • 昭和44年5月試験運転中に「重クロム酸ソーダ」を飛散
  • 六価クロム 肺ガンなどの原因猛毒性重金属
  • 従業員4人が肺ガンで死亡、数人が「鼻中隔せん孔」
  • 高濃度の六価クロム検出
  • 周辺住民の尿からも検出
  • 誘致した工場が公害を発生させる
  • 反公害運動
  • 原発や石油精製工場などの誘致は白紙に
  • 光化学スモッグ
  • 経済の成長がすべてでない
  • 昭和49年公害センター竣工
リアル・オーディオ
  • 近藤平一郎さん(当時53歳)元県公害課課長
  • 感覚公害(騒音振動、悪臭)の原因究明は簡単だが
    水質汚染や大気汚染と公害病の因果関係は難しい
リアル・オーディオ
  • 赤潮が発生
  • 北灘漁協 組合長・濱野義治さん
リアル・オーディオ
  • 死の海
  • 海の富栄養化によるプランクトンの異常発生が原因
リアル・オーディオ
  • 昭和50年 赤潮訴訟
  • 原告団団長 故・近藤三二さん
  • 浜野義治さん
リアル・オーディオ
  • 昭和60年 和解成立
  • 発生原因は「不分明」
リアル・オーディオ

池田早苗さんの主張

  • 地域公害が主でしたが今は地球規模の問題
  • 環境ホルモンなどが心配。便利さと引き替えに環境を汚染破壊していることを認識すべき
  • 「便利さが地球を滅ぼす」

 

徳島の29世紀。35回目に取り上げるテーマは公害です。
けさは、当時の公害が、これから21世紀を生きる私たちに
どんなメッセージを投げかけているのか探っていきます。

スタジオには、徳島文理大学工学部環境工学部
教授の池田早苗先生にお越し頂いています。

池田先生は川などの水質研究がご専門で
現在、県の環境審議委員会のメンバーでいらっしゃいます。
公害が社会問題となっていた昭和40年代当時も
県水質審議会の専門員をされていました。
のちほど詳しく伺います。

さて、昭和40年代、日本は公害列島と呼ばれるほど
各地で公害が発生していました。

主な公害は、北から
「新潟水俣病」、「イタイタイ病」、「四日市公害」
「熊本水俣病」、これが四大公害と呼ばれています。
「熊本水俣病」と「新潟水俣病」は
工場から垂れ流された水銀に汚染された魚を食べて起こりました。
富山県の神通川流域に発生した「イタイイタイ病」は
工場から排出されたカドミウムが原因でした。
一方、ぜん息などの「四日市公害」は
石油コンビナートのばい煙が引き金になっていました。
どれも戦後、経済優先主義のもと企業、
つまり人間が引き起こしたものでした。
「公害」はいわゆる高度経済成長の副産物でした。

そんな中、徳島でも県民を不安に陥れる「公害」が
徐々に表面化していました。
今切川の「異臭魚」の問題です。

(VTR)
昭和30年代前半、今切川の流域には
東亜合成や日清紡績などの大企業が相次いで進出。
昭和39年に新産業としに指定された後も
大塚製薬などが進出し今切川流域は
化学工業地帯として発展と遂げました。
しかし、工場から今切川に垂れ流される排水は
次第に川を汚染していきます。
そして昭和40年代に入ると
地元の漁協には、妙な臭いにする魚が
次々と水揚げされるようになります。異臭魚です。

その後、昭和46年、地元の漁協からの依頼で
県は工業廃水を調査。
その結果、翌47年には
「異臭魚の主な原因は東亜合成徳島工場の
工場排水だった」と発表しました。
工場の製造工程に副産物としてできる
「有機塩素化合物」が原因でした。
さらに県では、日清紡績や日本理化などの工場排水も
異臭魚に関連しているとして排水対策を指示しました。

しかし、今切川の汚染は異臭魚だけでは終わりませんでした。
昭和47年にはPCB、翌48年には水銀が
東亜合成の排水口付近のヘドロから検出されたのです。
両方とも人体に悪影響を及ぼす物質で、
特に水銀は、水俣病の原因でした。

このPCB、水銀汚染の波紋はたちまち広がり、
県全域の漁業関係者を巻き込む問題に発展します。
「魚はどれも安心して食べられない」
今切川の魚だけでなく汚染されていない他の近海魚までが
売れなくなったのです。
中央卸売市場では、連日魚の大暴落が続きました。

東亜合成はその後、過去11年間にわたり約0.9tもの
水銀を今切川に流していたと発表。
一週間の操業停止に追い込まれました。
しかし、その後の再調査では、
魚介類から規制値を上回る水銀は検出されず、
県は安全宣言を出しました。
もつれた漁業補償問題も会社側が3億5千万円を
漁業関係者に支払うことで妥結、
汚染魚問題は一応の決着をみました。

しかし今切川流域ではこうした水質汚染だけでなく
同時に大気汚染も問題となります。
周辺住民の中に、工場の煙が原因とされる
気管支炎やぜん息患者がいることが発覚したのです。

この問題で行政側は、改めて企業に対する管理の甘さを
指摘されることとなりました。
その結果、県では今切川流域の工場と
次々に「公害防止協定」を締結。
徳島でも公害を未然に防ぐ時代が始まりました。

(スタジオ)
池田先生に質問
当時公害が続々と発生した理由は?
・新産業都市の指定を受け、何よりも経済優先という時代背景
・行政も企業寄りだった

川の汚染は今切川だけではありませんでした。
徳島市の中心部を流れる新町川でも
悪臭が問題となりました。

(VTR)
「水の都」呼ばれた徳島市のシンボル新町川が
悪臭を放つようになったのは昭和40年頃からです。
上流の工場から垂れ流される排水や
急増した住民の生活排水が原因でした。
5ppm以上ないと魚が住めないと言われている
DO(溶存酸素)もゼロとなり
チヌやセイゴは川から姿を消しました。
「魚も住めなくなった死の川」
新町川の川底には厚さ1mものヘドロがたまり
水銀やカドミウムまで検出されました。

これは、昭和43年8月のニュースフィルムです。
船の上から新町川に投げ込んでいるのはなんと、脱臭剤です。
阿波踊りの観光シーズンにあわせて
短期間でも臭いをましにしようというわけです。
当時はこうまでしないと、橋の上まで異臭が立ちこめました。
その後は市民の関心の高まりとともに
産業排水の規制や汚泥のしゅんせつが次々と行われました。

そして昭和55年には吉野川から水を送り込む
ポンプ場が建設され新町川の水質は飛躍的に向上しました。
この年には、ゼロだったDOも4.3ppmまで向上し、
川には魚が戻ってきました。
その後も市民活動を中心に
新町川を守る活動が続けられ現在の水準にまで至っています。

(スタジオ)
池田先生。当時の新町川の悪臭について
臭いの原因
・生活排水が大きい。豊かさが生んだ汚染
・水質が良くなったのは行政よりむしろ市民の活動

さて、昭和40年代
公害が発生するたびに人々の生活は脅かされてきました。
そしてその怒りは
やがて反公害運動へと広がりを見せていきます。

(VTR)
阿南市橘町の日本電工徳島工場は
昭和44年に県と阿南市が誘致した工業薬品工場です。
しかし、試験運転中に劇物の「重クロム酸ソーダ」の粉末を
飛散させる事故を起こしてしまいます。
この事故で周辺の住民約300人が
のどなどに異常を訴えました。

しかし、公害が深刻化したのはその後でした。
日本電工が製造している「六価クロム」が
肺ガンなどの原因になっていることが明らかになったのです。
「六価クロム」は致死量5グラムといわれる
猛毒性の重金属です。
徳島工場でも昭和56年までに従業員4人が
六価クロムの粉じんが原因の肺ガンで死亡しました。
さらに、鼻の中に穴があくという
鼻中隔せん孔患者も数名いることが明らかになりました。

その後も工場の敷地内に、基準値を超える
高濃度の六価クロムが埋め立てられていることが発覚、
さらに検査の結果、周辺住民の尿には
通常より高い濃度の六価クロムが含まれていることもわかり、
六価クロム汚染が住民を巻き込んだ
広範囲に拡大していることが判明しました。

「誘致した工場が公害を発生させる」
それは、住民による反公害運動への引きがねといなりました。
公害を発生させる恐れのある工場の誘致に断固として
反対する動きが強まっていったのです。
その結果、県南に計画されていた
原子力発電所や石油精製工場などの誘致は
次々と白紙に追い込まれました。
当時、県南を中心に「光化学スモッグ」など
広範囲に渡る公害が深刻化していたことも
こうした反公害運動を後押ししていました。
「経済の成長が すべてではない」
そんな世論が形成されつつありました。

こうした住民からの突き上げに対応を迫られていた行政側は
昭和49年に公害センターをしゅんこう、
全県下的な公害監視体制を確立しました。
公害防止条例も貴9行に対する規制も強化していきました。

このフィルムの中に当時をよく知る人物が映っていました。
近藤平一郎さんです。
近藤さんは昭和42年から6年間、
県の公害担当の責任者を勤めていました。
当時、近藤さんのもとには毎日のように
たくさんの団体や苦情が陳情にやってきていました。

近藤さんは当時の様子を克明にノートに書き残しています。
その数は100冊を数えます。
化学記号の間を縫うように書かれたメモには
近藤さんが戦った公害の時代が刻み込まれています。

(スタジオ)
池田先生へのインタビュー

因果関係をめぐって裁判で10年間も争われた
公害がありました。赤潮の問題です。

(VTR)
昭和47年夏、
鳴門市北灘町の沖合は突如、真っ赤に染まりました。
大規模な「赤潮」の発生です。
この赤潮により、養殖ハマチは全滅。
被害額は約17億5千万円にものぼりました。

しかし、その後も赤潮は毎年のように発生。
被害額は膨らむばかりでした。
ハマチの死骸が浮かぶ北灘の海は
当時「死の海」とまで呼ばれていました。

「赤潮」」は海の富栄養化による
プランクトンの異常発生が原因です。
しかし、なぜ海の富栄養化が進むのか?
当時は、播磨灘沿岸の工場から
垂れ流される排水が原因であると考えられました。

そして昭和50年には
ハマチの養殖業者が、国や沿岸の工場を相手取り
総額約19億円の損害賠償と、
有害排水の差し止めを請求する訴訟を起こしました。

赤潮の原因が究明されないまま
裁判となったのは全国でも初めてでした。

しかし、企業側は
「むしろ養殖によるエサのばらまきが
赤潮の原因である」と主張し、漁師たちの自家汚染を強調しました。

原告と被告は真っ向から対立し、裁判は長期化
結局、10年後の昭和60年
企業側が鳴門と香川県の養殖業者に
総額7億円を支払うことで和解が成立しました。

しかし、赤潮の原因は明らかにならないままで
すっきりとしない結末でした。

(スタジオ)
池田先生にインタビュー

裁判の長期化で公害問題の難しさを露呈した
赤潮訴訟だったわけですが
北灘の場合はこの間にも昭和49年にも
岡山県水島コンビナートの重油流出事故の被害にもあっています。

池田先生にインタビュー

今振り返ると、昭和40年代の公害も
まだまだ氷山の一角に過ぎなかったのかも知れません。

徳島の20世紀。
けさは、高度経済成長の影で進行した
公害問題をとりあげました。

 


資料提供 徳島新聞社

ゲスト 解説

徳島文理大学工学部教授・池田早苗さん

司会
宗我部英久、喜多ちひろ

制作 
野口信博


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