2000/09/14
徳島の20世紀 〜32〜教育の民主化

   

ゲスト
鳴門教育大学教授 佐竹勝利さん
終戦当時教諭・卯城政子さん77
終戦当時教諭・林トヨコさん72
終戦当時児童・井上尚さん66
終戦当時児童・松崎彗さん66

徳島の20世紀32回目のけさは
終戦直後、「教育の民主化」はどのような形で進められたのか、
当時の教科書や当時の教師、児童の証言などから
検証してまいります。

日本は戦前、戦中、天皇中心の超国家主義、
軍国主義教育を行ってきました。
敗戦によってこれまでの教育方針を180度転換し
民主化への道を歩み始めます。

当時、敗戦の混乱の中で、教えた側と
教えられた側も相当な戸惑いがあったと思いますが
スタジオには
当時の教師と児童にお越しいただきました。

まず、教えた側から
昭和20年終戦当時、国民学校と呼ばれていた小学校で
教鞭をとっていた卯城政子さんです。

お隣の林トヨコさんは主戦の翌年、昭和21年、
国民学校の新任教諭となりました。

次は教えられた側で
井上尚(たかし)さんです。
井上さんは終戦当時国民学校の五年生でした。

続いて同じく国民学校五年生の松崎彗さんです。

コメンテーターとして
鳴門教育大学教授の
佐竹勝利さんにお越しいただきました。

(視聴者からの情報、思い出など募集)

リアル・オーディオ

終戦当時教諭・卯城政子さん77

突然の敗戦で蝉の抜け殻のようになった。
生徒から「先生嘘ついた。日本勝つといってたじゃないか」と言われ
自信をなくしたので教師を辞めたいと校長に話したところ
「辞めるのなら、(誤った教育を受けた子供を)平和の子供にしてからにしろ」と一括された。

リアル・オーディオ

昭和21年新任教諭・林トヨコさん72

「軍国主義の教育を受けた自分に勤まるのかと不安だったが、教員的確判定に通って民主化教育に邁進した。」

さてこちらの年表をごらん下さい。
終戦後の学校教育がどのように変わっていったか、
関連する事柄を挙げてみました。

文部省は終戦の翌月、9月学校現場に対し、
当面従来の教科書から軍国主義、
超国家主義的な教材の削除を指示しました。
その結果がスミ塗り教科書です。

(スミ塗り教科書を見せる)

卯城さんへのインタビュー
井上さんへのインタビュー
松崎さんへのインタビュー

リアル・オーディオ   スミ塗りの教科書を当時どう思ったか

子供に墨塗りを指示した卯城政子さん

「軍国主義が教科書から消えるのがうれしかった」

終戦当時児童・井上尚さん66

「戦後180度社会が変わったのを墨塗りで実感。
神聖で落書きもできない教科書を塗るなんてと驚いた。」

終戦当時児童・松崎彗さん66

「変なことをするなぁ。と思った。友達同士で『アメリカ軍からおこられるから(墨を塗った)』と言っていた。

 

年表
昭和20年10月
GHQ(連合軍最高司令部)は
教育の抜本的改革を図るため
「教育の四大指令」を発しています。

佐竹先生の解説

「教育の四大指令」
1)日本の教育制度に対する管理指令
 ・軍事教練の禁止
 ・教科書の問題箇所の削除など
2)教職追放の具体化を求める指令
3)国家と神道の分離指令
4)終身、歴史、地理の使用停止に関する指令

再び年表をご覧いただきましょう。
昭和21年4月の新年度から
袋とじの教科書が出ました。
次の教科書ができるまでの間の
「間に合わせ」に作られたもので
暫定教科書と呼ばれていました。

(鳴門市撫養小学校に残っていた実物)

リアル・オーディオ 袋とじの教科書を覚えているか、どんなことを思ったか

卯城さん「貧しい本だったが、心はこの上ない平和だと思った」
林さん「記憶に残っていない」
井上さん「物のない時代、
肥後の守で教科書を切り離すが、うまくできなかった。」
松崎さん
「楽しい作業だった。中にはミシンで綴じて持ってきた者がいてうらやましかった。」


年表:昭和21年9月
国民学校5・6年生用の社会科教科書として
「くにのあゆみ」が発刊されました。

(『くにのあゆみ』を見せる)
戦時下の「国史」が神代の時代から始まった天皇中心の歴史
「くにのあゆみ」は石器時代から始まる

リアル・オーディオ 『くにのあゆみ』について

井上さん「表紙を覚えている。人類が生まれる前に恐竜の時代があると10歳にして初めて知ってわくわくした。

松崎さん「石器時代とか、弥生、縄文時代というのを覚えたのだろうと思う。」

年表:
昭和21年11月日本国憲法が公布され、
施行されたのが翌22年の5月。
また同じ年の3月に教育基本法、
4月には学校教育法が施行され
六・三・三制となりました。

リアル・オーディオ  佐竹先生の解説
教育基本法の精神とは
  • 憲法の精神にのっとり、民主的な教育を行う。
  • 国よりも個人の尊厳を認める


年表:
昭和22年4月の新年度から
国民学校が再び小学校に改められました。
また、新制中学校が発足しました。
中学校も義務教育となりました。

年表:
昭和22年8月、中学一年生用の
「あたらしい憲法のはなし」が発刊されました。

(復刻版『あたらしい憲法のはなし』を見せる)
憲法の原点をやさしくわかりやすいことばで解説
第九条「戦争の放棄」について
説明の一部をご紹介しましょう。

 そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして
二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。
その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするための
ものは、いっさいもたないということです。
これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。
これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは、
「すててします」ということです。
しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。
日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。
世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
 もう一つは、よその國と争いごとがおこったとき、
けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんを
とおそうとしないということをきめたのです。
おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。
なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、
じぶんの國をほろぼすようなはめになるからです。

これは、文部省が選定した国定教科書です。
ですから、まさに、国が憲法第9条に対する初心を明らかにしたことになります。
今こうやって読んでみると新鮮な気持ちさえします。

リアル・オーディオ 「あたらしい憲法のはなし」について

井上さん「校長先生自ら教えてくれた。本当に平和な国になるんだと実感」

松崎さん「この本で戦争放棄という漢字(言葉)を覚えた。社会科の先生が謝ったのが印象的だった」

新制中学校は、何もかも新しいものづくめでした。
義務教育で無試験で入学することができ、
男女共学でホームルームが導入され、
生徒会ができて、生徒の自主性が養われました。

リアル・オーディオ

松崎さん「中学へ行けるとは思わなかった。『中』の記章に白い線をまいた帽子があこがれだった。

井上さん「小学校の敷地に間借りしていた。みんな野球少年だった。実に生き生きしていた」

林さん(南井上小学校教諭)「のびのびしていてうらやましいかった。生徒会、クラブ活動も活発」


(昭和24年に流行した曲『青い山脈』を聞く)

新制高校は昭和23年4月からスタートしました。
このとき、「高校三原則」が導入されました。

佐竹先生の解説

高校三原則
1)小学区制(学校間格差の是正)
2)総合制(進路選択の自由)
3)男女共学制(男女平等、複線型から単線型へ)

インタビュー

新制高校に入学して感じたこと

松崎さん「一緒に揃って行けるようになった、解放感があった。」
井上さん「自由選択制、下級生とも同じ勉強ができた。」


年表:
昭和23年6月、遂に教育勅語は、
国会で、排除・失効確認の決議が行われました。

明治23年に公布されて以来
軍国主義教育の根幹として大きな役割を果たしてきた教育勅語は
ここでその命を絶たれたわけです。

この年の11月、公選制の教育委員会が発足しました。
昭和24年2月には教科書検定制度が発足し、
国定教科書にとって代わりました。
そして同じ年の5月には新制国立大学が誕生しました。

こうして戦後教育の民主化は
1949年(昭和24年)でほぼその基盤が整いました。

リアル・オーディオ

民主化スタートの地点に立ち会った2人。今振り返ってどう思うか

松崎さん「民主主義、デモクラシーをの明るさを。」実感した」
井上さん「挿し絵大きな壺上軍艦を教育勅語よさようなら。この平和憲法が戦後の民主主義のとも同じ勉強ができた。」

(佐竹先生へ)民主化の教育は成功したか

「ひとことで言うのは難しいが短い間に進む方向が出そろった。戦前の教育勅語では『朕思うに』と天皇が国民に命令するの対し、戦後の教育基本法では『我等は』という書き出しに。つまり今後は、国民が教育をつくっていくということ。こういうことを受けて新しい教育が動き始めたということを考える必要がある。」

けさは、終戦直後の混乱期に着々と進められた
教育改革について検証してみました。


資料提供 (敬称略)

司会
遠藤彰良、宗我部英久、喜多ちひろ

制作 
胡田俊一