2000/08/15
徳島の20世紀 〜27回 貞光町報に見る戦時教育


「貞光町報」

 

リポーター・梅津龍太郎

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貞光町報の特徴

  1. 論説がある
  2. 戦死者
  3. 「陣中便り」または「戦線便り」
  4. 満蒙開拓青少年義勇軍
  5. 常会 (常會のぞき)
  6. 時局手帳
 内容を再生できます。
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 Real Video 畠山政一さん森川文夫さん
 Real Video  住友治郎さん(92)
 Real Video  森朝子さん(75)国防婦人会会長・前田多賀雄さん(98)
 Real Video  満寿川スミ子さん(74)麻菊枝さん(82)
 Real Video  折目忠治さん(72)

これが梅津さんが借りてきた
「貞光町報」です。
日中戦争が始まった昭和12年(1937年)から
太平洋戦争が終結する一年前の
昭和19年(1944年)6月まで美馬郡貞光町が
広報誌として発行しました。

当時、郡部の町村としてこれだけ充実した広報誌は
きわめて珍しく、この中には戦時中のことが
いっぱい詰まっています。

55回目の終戦記念日を迎えたけさは、
徳島の20世紀27回目として
戦時中、貞光町の広報誌、「貞光町報」が
どのような戦時教育を行っていたのか
詳しく見てまいります。

リポーターは梅津龍太郎さん

「貞光町報」は
町のコレクター、木本伸英さんが大切に保存しているもので
今回、とくにお願いして現物をお借りしてきました。
こちらが現物で反対側がコピーです。
当時貞光町は、まだ端山村(はばやまそん)と合併しておらず、
戸数1200,人口は5千から6千人でした。

町報は、町内はもとより、
満州や南方の戦地にいる方にも送られていました。
貞光町報が出されていた時代背景について説明します。

昭和12年7月
 日中戦争の発端***事件が起こり
戦争は中国全土に広がっていきます。
昭和13年4月
 国家総動員法が公布され、
戦争遂行に総力をあげる態勢が組まれます。
昭和15年10月 
 全政党を消滅させて、新体制の大政翼賛会が発足、
昭和16年12月
 遂に太平洋戦争が始まります。
戦局は次第に厳しくなり
昭和19年6月にはサイパンが全滅しました。
翌年20年8月15日は終戦です。

さて、貞光町報はいくつかの特徴があります。
まず、第一に論説があって強い主張が述べられています。
論説は編集者が執筆し、編集者は主として
貞光小学校の歴代校長が務めていました。

「論説」は大きな影響力を持っていました。
例えば「毎日の生活は国策の線に沿え」(13年7月号)
「満州移民の奨励」(15年4月号)
「戦争生活に徹せよ」(19年5月号)

町報は町民の教科書というキャッチフレーズで教育していた。

町報2つ目の特徴は
戦死者に関する記事が多く見られます。

戦局が厳しくなるにしたがって
戦死者を扱う記事が多くなってきました。

「尊し郷土の英霊、忠魂は永久に薫るぞ
将に突入せんとして、本町最初の名誉の戦死」(12年2月号)

「敵最後の主陣地へ猛攻中、天皇陛下万歳!
隊長とともに壮烈なる護国の神」(15年9月号)
「六勇士の英霊を迎え貞光町葬盛大に執行」(18年12月号)

インタビュー・永井益子さん(81)
インタビュー・島上町子さん(83)

結局、日中戦争から太平洋戦争にかけて
貞光町では245人の方が戦死されました。

町報の特徴3つめは
「陣中便り」または「戦線便り」のコーナーです。
戦地から内地へ宛てた手紙が掲載されています。

昭和17年4月号に
フィリピン戦線に赴かれていた大塚芳明さんが
戦地から便りを出されています。
大塚さんを訪ねました。

インタビュー・大塚芳明さん(86)

特徴の4番目
満蒙開拓青少年義勇軍に関する記事がたびたび掲載されています。
日本は昭和13年から満蒙開拓団を補足するため
小学校卒業以上の男子を対象に
満蒙開拓青少年義勇軍への参加を呼びかけ
貞光町からも30人から40人の少年が満州へ渡りました。

昭和13年4月号に掲載されているのが
満蒙開拓青少年義勇軍の募集記事です。
応募資格は数えの16歳から19歳まででした。

昭和14年2月号には
「満蒙開拓の雄図に燃える若き鍬の戦士
16勇士堂々出発」という記事が載っています。
その一人が畠山政一さんです。

インタビュー・畠山政一さん(76)

昭和14年4月号には
「祖国を護る雄図に燃えて健げな鍬の戦士、
又も三名が満蒙へ」という記事が乗っています。
森川文夫さんはその一人です。

インタビュー・森川文夫さん(76)

当時、少年達を満州へ駆り立てたのは学校の教師でした。

インタビュー・住友治郎さん(92)

さて、貞光町報5つ目の特徴は常会に関する記事です。
上意下達、相互監視を目的とした隣組、町内会が
常会の大切さを売って、町民に参加を呼びかけました。
「常会のぞき」というコーナーが設けられており、
各地区での常会の模様を紹介しています。
論説でもたびたび常会の大切さを訴えています。

常会は金属類の供出運動を盛り上げ、
貯蓄運動などでも効果をあげました。
また一方、スパイ監視を目的とした
防諜運動でも力を発揮しました。

さて、6番目の特徴、
「時局手帳」というコーナーは、時々の戦局を掲載した
いわば、大本営発表のミニ判でした。
例えば18年7月号を見てみますと・・・
「」

爆弾一つ落ちたことのない貞光町でも
女性たちは都市部と同じように
竹槍訓練や防火演習をやらされ、物資欠乏を補うため
軍の要請でヒマとかヒュージという妙な植物を
集めさせられたりしていた。

インタビュー・森朝子さん(75)
インタビュー・前田多賀雄さん(98)

ヒマ(唐ゴマ)の実は飛行機の潤滑油に使われていた。
19年5月号には
「ヒマの茂れる家こそ忠義な家。
さあ早く早く、そして多く」

戦時中、ヒマを育てたことのある人に話を聞いた。

インタビュー・満寿川スミ子さん(74)、麻菊枝さん(82)

さて、太平洋戦争の末期、
貞光町からも航空機を献納しようという運動が起こりました。

インタビュー・折目忠治さん(72)

昭和12年から毎月一回発行された貞光町報でしたが
戦局が厳しく紙不足のため遂に昭和19年6月号を以て
廃刊となりました。

これが最後の貞光町報です。
紙質が悪くなり紙面も一回り小さくなりました。
「廃刊の辞」

人口6千人余りの小さな町、貞光町も
きょう55回目の終戦記念日を迎えました。

戦時中、食べるものに困り
校庭にカボチャやサツマイモを植えていた貞光小学校。
今は、子ども達の歓声がひびき、
平和の息吹が伝わってきます。

けさは、戦時中に発行されていた貞光町報が
いかに住民の戦時教育に重要な役割を果たしていたかを
見てまいりました。
最後に貞光町報が取り上げていた標語をごらんいただきましょう。


廃物利用、買いだめ無用
節約・貯金は銃後の務め
愉快に働き、笑顔で納税
傷ついた勇士の手となれ足となれ
常会は時間厳守で一戸に一人
田の草取りつつ田舎で忠義
食べない白米、体のため、国のため
増やせよ生産、愛せよ資源
いつでも召される体を作れ
国が第一、私は第二
ものの不足は心の試練
御召だ、一億常会へ
まだ足りないぞ努力と辛棒
一銭二線、貯金で参戦
増産へ力一ッパイ、精一ッパイ
汗で増産、征く身で貯蓄
ウンと貯め、ドンと撃て!


資料提供 (敬称略)
木本信英、貞光町史

司会
遠藤彰良、宗我部英久、喜多ちひろ

制作 
胡田


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