2000/05/11  徳島の20世紀 〜16  銀行の100年

かつて徳島には三井銀行に次ぐ資産力を誇った全国第2位の銀行がありました。

さらに全国で89番目の国立銀行も存在しました。

しかし幾多の景気のうねりの中でそれらはすべて姿を消し、今の阿波銀行と徳島銀行に集約されていきました。


(阿波銀行 代表取締役会長 住友俊一さんインタビュー)

「地方銀行の歴史は吸収、合併、合同の歴史」


現在の阿波銀行と徳島銀行の二大競合時代を迎えるまでに
県内の銀行はどんな変遷をたどってきたのでしょうか?
二つの銀行のルーツを探ると
20世紀の知られざる金融の歴史が見えてきます。

現在、徳島の地方銀行といえば
阿波銀行と徳島銀行のふたつです。
しかし、このふたつに落ち着くまでには
破綻や合併など景気の波に揺られた苦難の歴史がありました。

シリーズでお送りしています「徳島の20世紀」
16回目のけさは
県内の銀行の歴史を振り返ります。

久次米銀行 
  明治13年(1880年)
  明治25年(1892年)休業

合名会社阿波銀行
  明治25年(1892年)

阿波商業銀行 船場町 
  明治29年(1896年)

旧徳島銀行 船場町
 明治15年(1882年) 創始者 大串龍太郎
  昭和2年(1927年)休業

昭和9年二木銀行合併
昭和18年 阿波貯蓄銀行合併
昭和39年 阿波銀行

支店102店舗 従業員1761人

昭和23年 徳島無尽株式会社
昭和26年 徳島相互銀行
平成元年  徳島銀行 支店70店舗 従業員1084人

 

これは、県内の銀行の歴史を表にしたもの

現在徳島の地方銀行は
阿波銀行と徳島銀行の二つ。
しかし今の名前になったのは意外と最近。
徳島銀行が平成元年(1989)
阿波銀行は昭和39年(1964)

しかしその二つの銀行が生まれた時期はずいぶん前
徳島銀行は「徳島相互銀行」「徳島無尽」と遡り
最初の「富岡無尽」ができたのが大正7年(1932)

阿波銀行の場合
阿波商業銀行が明治29年(1896)から
その全身ともいうべき「合名会社阿波銀行」「久次米銀行」まで
ルーツをたどると明治13年(1880)まで遡ります。

この二つの銀行がいかに現在に至っているのか
振り返っていくわけですが、
特に阿波銀行の場合は
途中大正の末期から昭和の初期にかけて合併や営業譲渡といった
めまぐるしい動きがありました。

そしてその中の一つには
現在の徳島銀行とは違う「徳島銀行」という銀行がありました。

この旧「徳島銀行」は明治15年(1882)に開業して
昭和2年(1927)には経営が破綻しまいましたが
このように銀行の20世紀というのは
破綻や合併がくり返される厳しいものでした。

(VTR)

徳島の銀行の歴史は明治12年(1879)、
第八十九国立銀行からはじまりました。


89BANK.JPG (30255 バイト)

第八十九国立銀行 船場町 明治12年(1879年)

資本金20万円 旧徳島藩士を中心に設立


その名前の通り89番目の国立銀行で
資本金は20万円、旧徳島藩士を中心に設立された銀行でした。

しかしこの銀行は、当時急激に起こったデフレに対応できず、
明治42年(1909)に解散してしまいます。
創業からわずか30年という短命でした。

資本金50万円。
当時莫大な資産を有していた
藍商人の久次米兵次郎(くじめ・ひょうじろう)は
その資産を背景に銀行業に乗り出しました。
久次米銀行は全国で6番目にできた私立の銀行でしたが
その資産力は当時、三井銀行に次いで全国第二位を誇っていました。

しかし全国屈指の銀行として君臨していた久次米銀行も
同族による放漫経営や材木部門の不振によって経営が悪化し、
明治25年(1892)に休業に追い込まれてしまいます。
「預金は守られるのか」
店頭ではとりつけ騒ぎまでおこりました。

破綻した久次米銀行を引き継いだのは
「合名会社阿波銀行」でした。
久次米銀行の負債額は110万円。
その負債を処理する整理銀行としてつくられた銀行でした。
しかし日清戦争後の好景気の波にものり
その負債は4年ですべて返済され、見事再建を果たします。

当時、日清戦争後の県内には
徳島電燈や徳島鉄道、阿波紡績などの会社が次々と設立され、
産業が著しく発展した時期でした。
まさに景気は上り坂。
街には資金を必要とする会社であふれかえっていました。
そんな時代の要請を受けて
整理銀行であった「合名会社阿波銀行」は
「阿波商業銀行」として生まれ変わり、
本格的に銀行業務をスタートさせます。
これが事実上、今の阿波銀行のスタートです。

久次米銀行から遅れること2年。
明治15年(1882)に2番目の私立銀行
旧「徳島銀行」が誕生しました。
この銀行も久次米銀行と同じく藍商人が始めた銀行でした。
久次米銀行が破綻したあとは
県の公金取り扱い指定銀行として経営規模を広げ
さらに第一次世界大戦の好景気の波にものり
事業規模を拡大していきました。

大正10年(1935)には
もうひとつ別に「徳島貯蓄銀行」もスタートさせていました。

しかし第一次世界大戦後、
日本経済は一転して慢性的な不況に陥り
昭和2年(1927)にはついに金融恐慌が発生しました。
全国各地で銀行の休業・破綻が相次いだのです。
そしてこの年、旧「徳島銀行」もその波に飲まれ破綻します。
結局「阿波商業銀行」に営業権を譲渡し、
事実上吸収される形で姿を消しました。

徳島貯蓄銀行も阿波商業銀行系列の銀行に合併されてしまいます。

金融恐慌後は銀行に対する信用不安が広がり
預金者は次々と財閥系の大銀行や郵便貯金に
その預金を移しました。
資金力の乏しくなった地方銀行は
長年その金融恐慌の後遺症に苦しんだのです。

旧「徳島銀行」を事実上吸収した阿波商業銀行は
その後も「二木銀行」や「阿波貯蓄銀行」などを合併して
資金力を強め
そして昭和39年(1964)に今の阿波銀行に名前を変更しています。
現在は、支店数102、従業員数1,700人を超す、
徳島で一番の規模を誇る銀行として
徳島の経済を支えています。

 

実は今の「徳島銀行」というのは
先に紹介しました「阿波銀行」とは全く出発点が違うんです。
徳島銀行はいわば庶民の中から生まれた銀行でした。

もうひとつの20世紀の銀行の歴史をご覧いただきます。

(VTR)

現在の徳島銀行は支店数70、従業員数1084人の
第二地方銀行です。
その出発点は阿波銀行とは全く異なっています。
莫大な財産を誇った藍商人から
阿波銀行がスタートしているのに対し
徳島銀行は
「頼母子講」や「無尽講」と呼ばれる
庶民の相互扶助的な金融組織が元になっているのです。

「講」はもともと資金力のない貧しい
庶民の間から生まれました。
古くは室町時代から行われていたと言われています。


KINBARA.JPG (29553 バイト)徳島県立文書館 金原祐樹さん


<「講」の説明>

例えばある村で5人が暮らしていたとします。
しかしその中のAさんが家を建て替えたいのに
お金が手元に10万円しかありません。
そこで村の残りのメンバーが同じように10万円ずつ
お金を出し合います。そするとAさんの分も含めて
合計50万円が集まります。この集まった50万円を
Aさんひとりが使うことができるというのが「講」です。

Aさんはこの50万円を使って家の建て替えが可能になりました。
もちろん利息をつけて他の4人にはお金を返さなければいけません。
ひとりでは無理だけどみんなでお金を出し合えば可能になる。
このような相互扶助的な関係が「講」の一番の特徴です。
ですから次にBさんが家を建て替えたいとなれば
また同じ事がくり返されるわけです。
しかし家を建て替えたい人が一度に何人も現れた場合は
入札などが行われます。落札した人がそのお金を使えるわけです。

その「講」に実際に参加したことがあるという人物を
神山町に訪ねました。

町の文化財保護審議会の会長をつとめる中山薫さん77歳です。
中山さんは10歳の時
父親の代わりで「頼母子講」に参加しました。


NAKAYAMA.JPG (26253 バイト)

講に参加したことがある 中山馨さん (神山町下分・77歳)


「頼母子講」や「無尽講」はやがてその規模が大きくなり、
巨大な資本力を持った金融機関として
活動を始めるようになりました。
その中の一つが大正7年(1932)にできた「富岡無尽」でした。
これが現在の徳島銀行の始まりです。
これはその「富岡無尽」の会社案内です。
富岡無尽は県内を基盤に業績を伸ばし、
昭和23年(1948)には「徳島無尽」、
その3年後(1951)には「徳島相互銀行」へと発展していきます。
そして平成元年(1989)、名前を「徳島銀行」とし
現在にまで至っています。

しかしその取引先は個人や中小企業などが多く
庶民金融とての「講」の性格を色濃く残しています。


TAMAGAKI.JPG (28292 バイト) 徳島銀行企画部 部長 玉垣一さん


(スタジオ)
徳島相互銀行から徳島銀行に変わってからは
阿波銀行、徳島銀行、二つの違いは
だんだんなくなってきているそうです。

 

FUKUHARA.JPG (4659 バイト) 解説・郷土史研究家 福原健生さん

最後にちょっと珍しいこちらのVTRをご覧いただきます。

(VTR)

これは、昭和39年(1964)、
阿波商業銀行対徳島相互銀行の
社会人野球の様子を撮影したニュースフィルムです。
現在は両銀行とも名前を変え、
このユニフォーム姿での試合は見られなくなりました。

一方は大富豪の藍商人から、
もう一方は庶民の「講」からのスタート。
その出発点は違えど
ともに地元銀行として同じ土俵、いやこの映像のように
同じグラウンドで競い合ってきました。
しかし銀行業界は今また
大きな再編の波に揺られています。
銀行にとって21世紀はまた
今世紀同様厳しい時代になりそうです。


KEYPUNCH.JPG (28692 バイト)

資料提供
阿波銀行、徳島銀行、徳島新聞社、県立文書館、徳島市史編纂室

司会
遠藤彰良、宗我部英久、喜多ちひろ

制作 
野口信博