2000/02/18  徳島の20世紀 〜6 市町村合併

今ご覧いただいているのは明治40年頃の徳島市内の写真です。
この当時、県内にあった「市」はこの徳島市だけでした。

明治22年に市制、町村制が全国的に施行され、地方制度の
整備が続いていた明治40年頃、県内にはおよそ140の
市町村がありました。現在は4市を含む50市町村ですから
百年の間に数多くの市町村合併を経て
今の徳島県が形作られたわけです。

毎週金曜日にお送りしています、シリーズ「徳島の20世紀」
6回目のけさは市町村合併という視点から徳島の20世紀を振り返ります。
市町村の合併と言いますと何やら難しそうですが人々にとっては
これまでの日常が一変する場合も多く、様々なエピソードが生まれました。
まずこちらのVTRからご覧下さい。

(VTR)

HIKKOSI.JPG (3202 バイト)

これは昭和41年9月30日に撮影された那賀川町役場の引っ越しの様子です。
新しい庁舎が完成したための引っ越しではなく、
2年に一度行われていた定期的な引っ越しだと言いますから驚きです。
この引っ越しは合併した二つの村の真ん中に新築が決まっていた
新庁舎が完成するまでの12年間、それまでの平島村を振り出しに
今津村役場との間でくり返されたものでした。

UEDA.JPG (3604 バイト)(元那賀川町助役・上田忠孝さん インタビュー)


これは、昭和31年9月、那賀郡の平島村と今津村が
合併した時の県への申請書です。

N-FILE.JPG (3174 バイト)


国が強力に推し進めた時限立法「町村合併促進法」の
期限切れを目前にして二つの村の合併が成立しました。
この時の協定書によって新しい庁舎が出来るまでの間は
2年ごとに旧平島村役場と旧今津村役場を交互に那賀川町と
する事が決められました。

FUKUSIMA.JPG (2523 バイト)(元那賀川町助役・福島聡さんインタビュー)

那賀川町の場合、平島村と今津村の合併の他にも隣接する
いくつかの町村との合併構想があり、中でも羽ノ浦町との間では
昭和32年1月の知事勧告を受け、那賀川、羽ノ浦両町長の
署名捺印のある合併申請書が作られるまで話が進んでいました。
そして昭和32年7月には羽ノ浦町で合併の是非を問う住民投票が
行われ2126票対2087票のわずか39票差で
那賀川町との合併が支持されたという結果が出されました。
しかし、この後合併には至りませんでした。

(福島さんインタビュー)

上那賀町にもいわゆる「ジプシー役場」があった
合併をめぐっては複雑な住民感情
40年前にも住民投票があったとは驚き

さて、市町村合併で大きな問題のひとつが新しい市町村の名前です。
これはその市町村のイメージと大きく関わるだけに大事な問題で、
中心となった町村の名前を引き継いだケースが多いものの
名前が決まるまで複雑な経緯をたどったケースも少なくありません。

たとえばこちら。昭和22年に当時、板野郡だった4つの町村が
合併して生まれた鳴門市ですが、実は合併当初は鳴門市という鳴門ではなく
「鳴南(めいなん)市」という名前だったんです。

(VTR)

県の市町村課が保管している鳴門市関係の公文書です。
この中に鳴南市の鳴門を見ることができます。
撫養(むや)、鳴門、瀬戸の3町と里浦村が合併した
鳴南市は戦後1番早く合併を成し遂げた市でした。

NISIDA.JPG (4744 バイト)(鳴門郷土史研究会・西田素康さん インタビュー)

二転三転した末にようやく決まった鳴南市という名前でしたが
市民からの評判は予想以上に悪く、わずか2カ月後の5月には
市議会で名称の変更が議決される事態となりました。

これは名称の変更にあたって知事が東京へ出張中だったため
電報で行われた認可のやりとりです。
名称の変更がいかにあわただしく行われたかを示す資料です。

(西田さんインタビュー)

役場に次々と押し掛ける町民。
実はこれ、鳴門市との合併に反対して陳情に訪れた当時の
板野郡大麻町の人々です。

OASA.JPG (4820 バイト) 「板野郡大麻町役場」合併反対の看板が奥にある


昭和22年に4町村が合併して生まれた鳴門市は
その後も合併を重ね、この昭和41年には大麻町との
合併構想が実現しようとしていました。

(西田さんインタビュー)

一部に反対の声があったものの昭和42年1月1日に
大麻町は鳴門市に編入され現在の鳴門市が誕生しました。

NEINAN.JPG (4659 バイト)

この後鳴門市はこちらの表のように
板野郡の大津村、北灘村、大麻町を編入し、今の鳴門市となったわけです。

鳴南市の他にも市町村の名前をめぐってはエピソードが
多そうですね。

こちらをご覧下さい。
合併前の町村の名前の一部を残す場合もよく見られます。
例えば藍園村(あいぞのそん)と住吉村(すみよしそん)が
合併して藍住町(あいずみちょう)。
加茂町と三庄村が合併して三加茂町。
山瀬町と川田村が合併して山川町などです。

全国的には、どちらの文字が上になるか下になるかで
もめるケースもあったそうですね。

次に市町村の数々の移り変わりをごらん下さい。

COUNT.JPG (4327 バイト)

藩政時代には600以上と言われた「ムラ」がありましたが
これは伝統的な生活を基盤とした生活共同体でした。
市町村合併には2度の大きなピークありその一つが
市制、町村制が施行された明治22年。
当時は市が徳島市だけ、町が撫養町と脇町の二つ、
そして137村のあわせて140の市町村でした。
もう一度のピークは市町村合併促進法が施行された昭和28年から
30年代前半にかけてで、昭和28年には3市43町82村の
合計128市町村でしたが、現在は4市38町8村の
あわせて50市町村となっています。

こちらに二枚のパネルを用意しました。まず上のパネル。
現在の50市町村の区割りを示しています。

そして、下のパネル。これは昭和20年頃の市町村の区割りを
示したものです。この頃はなんと134もの市町村がありました。

このうち、まず現在の美馬郡に注目して下さい。
現在の美馬郡は脇、美馬、穴吹、貞光、半田の5つの町と
一宇、木屋平の2村から成っていますが
昭和20年頃には13もの町村からできていました。
これらの町や村が昭和30年代にかけて次々と合併していったわけです。

市町村の数が多いと行政としては効率が悪かったでしょうね。

合併の歴史の途中には幻の市や町に終わったというケースもありました。

有名なのがこの「日出市」

HINODE.JPG (3714 バイト)

昭和33年10月頃、板野郡下板地区の5町村が合併して
人口およそ3万6000人あまりの市を設置するという構想で
昭和34年4月1日発足を目標に各町村がそれぞれの議会で
議決直前まで進みましたが結局実現には至らなかったというものです。

やはり合併には新たな地域間の利害の対立という
大きな問題があったのでしょうね。

慣れ親しんできた町や村の名前が消えてるのも抵抗感があった

様々な課題を抱えつつも市町村合併は圧倒的な時代の流れでした。
県内には徳島市の他には鳴門、小松島、阿南とあわせて4つの
市が合併によって誕生しました。

この中から徳島市の合併による広がりを見てみましょう。

MEIJI.JPG (3503 バイト)

明治時代徳島市は、富田、内町、渭北、渭東地区など
現在の16分の1の広さしかありませんでした。

T15.JPG (3806 バイト)


その後、まず大正15年に沖洲村と現在の昭和、津田地区となる
斎津村を併合。さらに昭和12年八万村と加茂町、加茂名町が。

S26.JPG (4367 バイト)


昭和26年には勝浦郡の勝占村、多家良村を編入。

S36.JPG (4973 バイト)


昭和30年には名東郡新居村、名西郡入田村、
名東郡上八万村板野郡川内村を次々と併合します。

続いて昭和40年代に入ってからも41年の板野郡応神村、
昭和42年の名東郡国府町とあわせて13町村を編入し
現在の徳島市となります。

その間市役所の庁舎をめぐってもいろいろな歴史がありました。
徳島市役所の歴史について郷土史家の福原健生さんに
お話をうかがいました。

FUKUHARA.JPG (4659 バイト)VTR 福原健生さんへインタビュー)

・明治の県庁
・新蔵町
OFF-S5.JPG (4191 バイト)昭和5年市庁舎炎上

昭和8年につくられた徳島市役所です。
そのご増築が重ねられ昭和59年に現在の庁舎が完成するまでは

この建物が徳島市の顔でした。
OFF-M44.JPG (3979 バイト)

OFF-S40.JPG (3913 バイト)

OFF.JPG (3495 バイト)

(VTR 福原健生さんへインタビュー)

これまで見てきたように市町村合併は本当にたくさんの エピソードを生んできました。

この市町村の合併というできごとは いったいどんな意味を持っていたのでしょうか。

元徳島市の職員でもあり行政組織にも詳しい、先ほどの 福原健生さんにうかがっています。

(VTR 福原健生さんへインタビュー)

けさは様々なエピソードをもたらしながらも
徳島の地方自治の歩みそのものとも言える
市町村合併についてお送りしました。

(VTR)
行政の効率化と基盤強化のため
日本の近代化の礎となった市町村合併。
悲喜こもごものエピソードを生んだ新しいまちづくり。

市町村合併は広域行政の名のもと、 現在三度注目を集めています。


(資料提供)

県立文書館、県市町村課、那賀川町史編纂室、徳島市史編纂室
       
司会
遠藤彰良、宗我部英久、物部純子
制作
井上彰夫