2000/08/17 徳島の20世紀 〜28 阿波踊りの100年

徳島の真夏を彩る「阿波踊り」
県内外から集まった130万人以上が その熱気と興奮に酔いしれました。

先祖の霊を慰めるための精霊踊りがその起源といわれる 阿波踊りは、明治以降 時代の移り変わりとともにその姿を変えてきました。
庶民の中から生まれ、庶民とともに歩み続けた「阿波踊り」。
その100年の歴史を振り返ります。

阿波踊りの歴史をたどっていきますが、 明治時代はいったいどんな踊りだったんでしょうか。
じつは今とはかなり違っていたんです。

それでは、明治の時代から振り返ってみることにいたします。

長かった藩政時代は幕を下ろし、明治という新しい時代がはじまりました。

徳島でも鉄道が開通したり、徳島公園が完成するなど西欧諸国の新しい文化が取り入れられました。
しかし、徳島の盆おどりには、江戸時代から300年の伝統が受け継がれてきました。
徳島の盆踊り、その特徴は「庶民誰もが気軽に参加でき、自由に踊れること」でした。

明治16年の新聞にはその年行われた阿波踊りの盛況ぶりが掲載されていました。

 

「時鐘が午夜を報ずるとともに、ソラこそ12時だ、 踊れ踊れと勢い込んで、チャカチャカドンドン、 ピューピューグワラグワラ。
人の安眠を害するも、明日の仕事がペケになるも一切かまいなく、新町、内町は申すにおよばず大岡、常三島の場末までも右往左往と行き違い明け方ごろまで踊りいたる」

当時の盆踊りは三日間、昼夜を問わずぶっ通しで踊り明かしていました。
明治時代、日本は日清・日露戦争を戦い勝利します。
国内では各地で勝利を祝う催しが行われました。

徳島では「祝勝阿波踊り」が開かれ、誰もが戦勝ムードに酔いしれました。
戦争を期に、このころからお盆以外でも景気づけやお祝いの度ごとに 阿波踊りは開催されるようになったのです。

大正時代に入ると、庶民の暮らしは豊になり、 さまざまな文化や思想が花開きました。阿波踊りも時代を反映するかのように 自由でユニークなスタイルのものが多くみられるようになりました。

伴奏に琵琶を使っています。

県立文書館蔵

こちらは、鼓と三味線です。
虚無僧のような深編み笠をそろってかぶる仲間もいました。
 

 県立文書館蔵


これは大正4年。

 県立文書館蔵

天皇の即位を記念した徳島市の西新町で行われた踊りの様子です。
天皇の即位を喜ぶ当時のにぎわいがよくわかります。

しかし、大正時代阿波踊りをリードしていたのは なんといっても花柳界、富町や内町の芸子衆でした。

当時と変わらぬ阿波踊りの調べを歌い続ける1人の女性がいます。
多田小餘綾(ただ・こゆるぎ)さん93歳。

番組内容をWindows Media Player でごらんいただけます。

お鯉さんの名で知られる多田さんは14のころから芸妓として花街で活躍していました。
多田さんが唄う「よしこの」は80年を経た今も、聞く人の心をとらえます。

*お鯉さんへのインタビュー

宴会があって、そのまま踊りに出るので洋服の人やシャツの人も、「めいめい」でした。

優雅で風情のある芸子衆の踊りをひとめ見ようと、 県内外からは多くの見物人が集まりました。
大正時代から昭和にかけて 阿波踊りは既に日本有数の盆踊りとして人気を集めていました。

これは昭和初期の阿波踊りを映したフィルムです。
町内を三味線で流す一行です。

後ろに続く大人たちがかぶっているのは編み笠です。
子どもたちがかぶっているのは常盤(ときわ)笠です。
赤やピンクの花で飾られたこの笠は、 戦後の昭和30年頃まで使われました。

乗り合いバスから踊り子たちが降りてきます。
こういった光景は今も同じです。
バスのプレートには徳島−古庄の字が見えます。
踊りの先頭が手にしている旗に徳島市のマークが見えます。
暑さの中、冷やしアメを売っている屋台がでています。
飛び跳ねるような踊りは今とはずいぶん違っています。
画面の右手、後ろに見える建物は徳島駅です。
踊っているのが徳島駅前であることがわかります。

しかし盛況に沸く阿波踊りも
この後しばらして長い沈黙を強いられることとなります。
戦争です。

昭和12年、満州で盧溝橋事件(ろこうきょう)事件が勃発。
阿波踊りはこの年から中止されました。
街にあふれた「ぞめき」の音色は、銃声にかき消されてしまいました。

中止から5年目の昭和16年4月、阿波踊りが復活しました。
東宝映画「阿波の踊り子」のロケが徳島市内で行われたのです。

主演は長谷川一夫、監督は巨匠マキノ正博でした。

番組内容をWindows Media Player でごらんいただけます。

リポート 徳島市徳住橋 ここでもロケが行われました。

5年ぶりの阿波踊りとあって踊り子のエキストラには希望者が殺到しました。
芸子衆は花柳界の誇りをかけ、猛練習に励みました。
暗い戦時体制のもと、阿波踊りは
徳島の誰もがまち焦がれていたものだったのです。

同じ年の昭和16年12月、日本はアメリカとイギリスに宣戦を布告、
太平洋戦争が始まりました。
日本軍は序盤戦果をあげ、
翌昭和17年には阿波踊りが再開されたものの
戦況が悪化するや、たちまち中止となりました。

昭和20年、終戦。
徳島の街は一夜にして灰と化し人々は最愛の肉親や兄弟、妻や子を失いました。
住む家も食べる物もなく、誰もがいきることに精一杯でした。

昭和22年8月、焼け跡にぞめきのリズムが響きわたりました。
あり合わせのみすぼらしい衣装、
着物がない踊り子は、裸の体に鍋の炭を塗りました。
しかしどの顔にも平和な時代を迎えた喜びが満ちあふれていました。

番組内容をWindows Media Player でごらんいただけます。

地区の人の、「うちんくの」踊りだった。
ご苦労さん、賑わせてくれてと声をかけられてお接待を受けた。
街中で不信な行動をとると警察に怒られたが阿波踊りだけは、口に一升瓶をくわえて歩いていてもおとがめなし。

津田幸好(つだゆきよし)さんは20歳のとき終戦を迎えました。
津田さんは現在75歳。
海軍から復員後、娯茶平連で戦後の阿波踊りを支えてきました。
津田さんは趣味のカメラに阿波踊りを納めていました。

昭和24年、戦災からの復興を願う阿波踊りが
徳島駅前広場で開催されました。
にぎやかで躍動感いっぱいの阿波踊りは徳島の復興のシンボルとして
人々の圧倒的な支持を受けました。
市内では新しい建物や道路が次々と建設されて行きました。
戦災の爪痕は次第に消え、誰もが復興をなしとげた事を確信しました。

これは昭和26年、徳島駅前の元町ロータリーで行われた阿波踊りの写真です。
画面の奥に見えるのが桟敷です。
画面の上、右側が今のそごうデパートのあるあたり、
左側が三和銀行のあるあたりです。
画面真ん中、ロータリーの中央部分に、踊りを見物する人たちがいます。
進駐軍の将校たちです。
この見物席は進駐軍のために作られた特別席でした。

番組内容をWindows Media Player でごらんいただけます。
          四国放送のニュース映像から・音は再生されません。

昭和30年代に入ると、日本は高度経済成長の波に乗り
めざましい発展をとげました。
誰もが平和と豊かさをかみしめた時代でした。

徳島市内には観光客目当ての
みやげもの店が軒を連ね連日多くの人で賑わいました。

これは昭和34年、市役所前の演舞場です。
画面上に見えるのは今は埋め立てられた寺島川です。

この時代の女踊りは現在とかなり違っています。
両手を肩の高さで上下させ、指先もだらりと下を向いています。

 

番組内容をWindows Media Player でごらんいただけます。
          四国放送のニュース映像から・音は再生されません。

これは昭和40年、平和連の踊りです。
昭和34年と比べて両腕が上がっているのがわかります。

この後、現在のような高く両腕を突き上げるフォームへと変化して行きました。
右が昭和34年、左が現在の踊りです。
このように変化を遂げていったのには理由がありました。
それは、年々大型化していった「桟敷」の存在です。

番組内容をWindows Media Player でごらんいただけます。

インタビュー・福原健生さん

桟敷の出現で客の目線が上から下へ。手がだんだんと上へ上がる。見てくれのいい踊り。時流をつかう踊り。伝統の踊りを保存するというよりも踊りを振興させる意識が強い。

「参加する踊りから見せる踊りへ」
見られることを計算した阿波踊りは
工夫を凝らした演出やユニークな踊り手たちが観客の目を楽しませました。

番組内容をWindows Media Player でごらんいただけます。

番組内容をWindows Media Player でごらんいただけます。
          四国放送のニュース映像から・音は再生されません。

さらには、大阪万国博覧会をはじめとする各地の博覧会に出演して
積極的にPRを行いました。
1967年には始めて海外へ進出し、ハワイのホノルル市で乱舞を見せました。
この様子は衛星中継で全国に放送され阿波踊りは日本はもとより
海外からもひっぱりだこの人気となりました。

番組内容をWindows Media Player でごらんいただけます。

踊りと同時に連の編成も変わっていきました。
戦前には20人程度だった連は戦後次第に大型化し
最大で100人規模に膨れ上がりました。
鳴り物は三味線などの弦楽器から
鐘、太鼓といった打楽器中心の編成となりました。
大音量、大編成、そして一糸乱れぬ組織力、
これが現在の阿波踊りの主流となりました。

番組内容をWindows Media Player でごらんいただけます。

多田小餘綾さん(93)、津田幸好さん(75)

時代とともにその姿を変えていった阿波踊り。
しかし阿波踊りはいつも庶民とともにありました。
人々が感じる喜びや悲しみ、さらには憎しみや怒りまでもが
その原動力となって阿波踊りは今に生きています。

阿波踊りの100年。
それは時代をたくましく生きた庶民の歴史でした。


資料提供 (敬称略)

石川文彦、木村章、津田幸好、福原建生、清酒金陵 製造元 西野武明、大丸呉服店、三木ガーデン歴史資料館、県立文書館、徳島新聞社、写真集「徳島百年」、郷土出版社、目で見る「徳島の100年」

司会
遠藤彰良、宗我部英久、喜多ちひろ

制作 
芝田和壽