2009/06/04 木曜日  No.9311

宝の山を次世代に〜75歳・林業人生に悔いなし〜

 

75歳の林業家の人生をお伝えします
 

 
コーナー

内 容

ドッグトレーナー 福永亮さん

梅の出荷が最盛期

池坊・宮本泉さん「ジューンブライド」

最近のホットラインから 参道のそうじ


 

なつかしの徳島

梅の出荷が最盛期

ホットラインから

参道のそうじ

けさの生け花

「ジューンブライド」



 

宝の山を次世代に〜75歳・林業人生に悔いなし〜


けさは、39年前の昭和45年に放送された番組をひも解きます。
番組のタイトルは「我が山は緑なり」高度経済成長のひずみが「過疎」という形で現れた山村でスギを「カネのなる木」と信じ、人工造林と取り組む男たちの姿が描かれています。

(VTR)

番組の舞台となったのは、美馬市穴吹町の内田地区。
カメラは、雑木林を切り開く男たちの姿をとらえていました。

*音生き(番組ナレ)

登場する林業家は31歳から41歳までの5人。

「内田造林会」発足以来のメンバーです。
当時副会長の中山修一さんは、会の中心メンバーでした。

*音生き(番組ナレ)

スーツをぱりっと着こなしているこの方が、VTRの中で内田造林会の副会長と紹介されていた中山修一さんです。
当時37歳の青年林業家でした。
それから39年の歳月が流れ、内田造林会のメンバー5人のうち、2人は既に亡くなっていました。
残る3人もうち2人は林業から退かれ、現役の林業家は、この中山さんだけでした。

美馬市穴吹町の内田地区を地図で確認しておきましょう。
内田地区は、穴吹川を遡り古宮へ。
そこから、さらに支流の内田谷川を遡ったところにあります。

この内田地区に中山さんを訪ね、お話を伺うことができました。

木材価格の低迷が長引くなど、林業を取り巻く環境には厳しいものがありますが、中山さんは、山を見捨てませんでした。
75歳になった今も息子さんとともに山を守り続けています。
「我が林業人生に悔いなし」中山さんは静かに語り始めました。

(VTR)

中山さんの自宅は、旧一宇村境に程近い山の中にあります。

*音生き(挨拶)

自宅の向かいに見える1000メートル級の山々の山頂付近は、番組の中で、内田造林会が「杉の子」を植え付けていた辺りです。

*音生き(番組ナレ)

39年の歳月を経て成長した杉林が遠目にも、はっきりと確認できます。
今回、中山さんを訪ねた目的の一つは、39年前の番組を見てもらい、当時、どのような思いで林業と取り組んだのか話を聞かせてもらうことでした。

*音生き(番組ナレ)

時を越え、若かりし頃の自分、そして、仲間たちとの再会です。

*音生き(インター)

*音生き(番組ナレ)

*音生き(インター)

*音生き(子どもの声)

番組には、内田造林会のメンバーの一人、中山フジオさんの妹、キミコさんが山を降りて嫁いで行くシーンがあります。
それは、昭和30年代から40年代にかけての高度経済成長期に都会での生活に憧れた若者が就職や結婚で次々と山を降りたため、一気に進んだ過疎化の象徴的なシーンとして描かれています。

*音生き(インター)

過疎化は、林業の後継者難という問題を生み出します。

それでも、当時の林業には、まだ夢がありました。

*音生き(番組ナレ)

*音生き(造林会の会話)

*音生き(インター)

昭和40年台、木材価格は、飛躍的な経済発展に伴う建築ラッシュやパルプ材の需要の高まりで上昇の一途をたどっていました。

旺盛な木材需要に生産・供給が追いつかない状態で、国は天然林を成長の早いスギやヒノキの人工林に転換する拡大造林政策を推進。
内田造林会もこれに応えました。

*音生き(インター)

スギがカネのなる木であったからこそ、林業家たちは、危険を顧みず、高い梢を目指しました。
スギの苗を作るためのスギの実採りです。

植林用の苗を林業試験場で簡単に調達できる今ではもう見られない林業の営みです。

*音生き(インター)

一見、農業に見える、この作業もかつては、林業の一環でした。

*音生き(番組ナレ)

1年ないし2年で成長した「杉の子」を天然林を伐採した跡に植え付けていきます。

これが定着して、ひとまず植林の完成です。
でも、それは、長い時間と手間を必要とする林業のほんの一こまに過ぎません。

*ポーズ

*音生き(インター)

*ポーズ(鳥のさえずり)

長男の定明さん48歳です。
中山さん親子が林業の現場を案内してくれることになりました。

*ポーズ

現場に向かう道中、39年前の番組に出てくる家が残っているというので、立ち寄ることにしました。
石垣の上に立つ、この家、花嫁を送り出した、あの家でした。

しかし、今は誰も住んでいません。
花嫁の兄で、造林会のメンバーだった中山フジオさんは既に亡くなっています。
その隣りにあるのは、造林会の元会長の家。

ここも空き家です。
林業に見切りをつけ、山を降りたのだと言います。
時計の針は30年前で止まっていました。

*音生き(インター)

木材価格は、昭和50年代後半から安い外材の影響で長期的に低迷し、ここ10年間も不況の影響で右肩下がりの状態が続いています。

*音生き(インター)

39年前には無かった林道を通って、車は、さらに奥へと入ります。

*ポーズ(BG)

*音生き(中山さん)

着いたのは、所有者から立木(たちき)だけを買い取って管理している山林でした。

*ポーズ(電気ノコの音)

長男の定明さんは、高校卒業と同時に、山で働き始めました。
林業の全ては父親の修一さんからたたき込まれました。

*音生き(木を伐採する音)

*音生き(インター)

年輪を確認します。

*音生き(年輪を読む)

この場所で50年、苗床で2年、合わせて52年生のスギでした。

*音生き(インター)

半世紀あまりに及ぶ営みを経て切り倒された一本のスギ。
その価値を聞いた時、林業の厳しさを思い知らされました。

*音生き(インター)

*ポーズ

それでも、林業はやりがいのある仕事だと言います。

*音生き(インター)

*ポーズ

間伐ができていない森林には、鉛筆のようにか細い木が立ち並び、光が一切差し込みません。
まさに、見捨てられた森林です。

一方、人の手が入った森林には、光が差し込みます。

*音生き(インター)

*ポーズ(伐採音)

親から子へ。そして、孫へ。
守り続けてきた宝の山は受け継がれていきます。

*ポーズ(伐採音)

我が山は緑なり。

*音生き(伐採音)

(スタジオ)
50年待って3000円にしかならない。
もちろん、もう少し高く売れる木もあるんでしょうけど、林業って本当に厳しいんですね。
それでも、山を見捨てず、ずっと守ってきた。
偉いなあ…
息子さんも、そんなお父さんを見て育ったから、林業に誇りを持っている。
森林が果たす公益的機能の話をされていましたけど、これからもずっと、山を守ってほしい。
手入れが行き届いている森林は本当に宝の山ですからね。
行政もようやく、そこに気づいて間伐作業に補助を出すなど公的支援を始めたようですが、まだまだ十分とは言えません。

まじめに林業と取り組んでいる人が夢を持てるようなシステムをきちっとつくってほしいなと思います。
本当に、いろいろと考えさせられました。
けさは、75歳の林業家、中山修一さんの林業人生をお伝えしました。

JRTアーカイブス わが山は緑なり

2009/06/03
徳島ヴォルティスは、アウェイの佐賀・ベストアメニティスタジアムでサガン鳥栖と対戦し2対0で快勝しました。
順位は18チーム中7位です。
 

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