(VTR)
今月20日、徳島市立木工会館では、翌日から始まる、展示会の準備が行われていました。
会場に持ち込まれたのは、金剛蔵王権現や観音菩薩といった仏像のレリーフを中心にした作品、36点。

行動美術協会の会員で、四国大学教授の井下俊作さんら作品展の世話人によって、準備は着々と進められていきます。

*音生き(展示準備)
井下さんたち世話人は、これらの作品を生み出した無名の木彫り作家に惚れ込み、個展を開いてみないかと持ちかけます。
「趣味で作っているだけで全くの自己流。個展を開くような器ではない」と固辞されましたが、
「ぜひとも、作品を世に送り出したい」と説得を続け、本人の同意を得ました。
会場の入り口には、作品展の看板が設置されました。
タイトルは、「少年 岩田良隆の世界〜木彫りに挑む92歳」

今まさに、のみを入れようとする力強い手が作家への興味をかき立てます。
*音生き(井下さんインター)
専門家も注目する木彫り作家、岩田良隆さんは、三好市池田町に住んでいます。
木彫りを始めたのは75歳の頃、誰に教わったわけでもなく、独学で始めました。
今作っているのは「菩薩半か思惟像」。

天然素材の背板をこつこつと、深さ3、4センチくらいまで掘り、形を浮かび上がらせていきます。
少し耳が遠い以外は、いたって健康だという岩田さん。
時を忘れ、立ったままの作業が続きます。
*音生き(岩田さんインター)

岩田さんは、父親が朝鮮総督府の営林署長を務めていた大正5年、朝鮮半島で生まれました。
いったん帰国した後、旧満州、現在の中国東北部へ渡り、開拓の仕事に就きますが、戦火が広がり、現地で召集されます。
戦後、父親の故郷、池田に帰った岩田さんは、エックス線技師となります。
岩田さんには、3つ違いの弟がいました。
弟、良二さんは、東京美術学校、現在の東京芸大を首席で卒業した才能の持ち主でしたが、徳島連隊に入隊後、肺結核を患い、31歳の若さで亡くなっています。

志半ばで亡くなった弟。
岩田さんには、今でもはっきりと覚えている子どもの頃の思い出があります。
*音生き(岩田さんインター)
終戦後、復員した弟は、苦しい息を吐きながらもスケッチ帳を広げ、病床から見える故郷の風景を何枚も何枚も描いたと言います。
病が直ったら、また上京して絵の勉強をしたい。

しかし、その願いは叶いませんでした。
一方の岩田さんは、結婚もし、3人の子どもにも恵まれましたが、58歳の時、転機が訪れます。
京都仏教大学の通信課程で仏教を学んだ岩田さんは定年退職後、僧侶となるための修行を積み、上京。
埼玉県にある浄土宗の寺の住職を任されます。
還暦をとうに過ぎてからの出家でした。

*音生き(岩田さんインター)
僧侶をやめて、家に帰った時は72歳になっていました。
*音生き(岩田さんインター)
*音生き(妻・登喜子さんインター)

*音生き(岩田さんインター)
こうして、還俗した岩田さんは、数珠の代わりに彫刻刀を握ることになります。
*音生き(妻・登喜子さんインター)
しかし、そんな夫の米寿のお祝いにと、アトリエをプレゼントしたのも他ならぬ妻の登喜子さんでした。
*音生き(妻・登喜子さんインター)
*音生き(階段上る)
*音生き(妻・登喜子さんインター)
*音生き(夫に声をかける)
母屋でのお昼ごはん。
この日の献立はニラ玉と、岩田さんの大好物、豆ごはんです。
(ポーズ)
食卓には、生まれて半年というひ孫の写真が飾られていました。
*音生き(妻・登喜子さんインター)

カレンダーに丸印付きで記されたスケジュールは、すべて登喜子さんのものでした。
*音生き(妻・登喜子さんインター)
それぞれに好きなことをして老いを楽しむ。
この夫婦共通のモットーのようです。
今回の岩田さんの個展には、世話人による粋な計らいがありました。
*音生き(井下さん)
長野県にある戦没画学生の作品を集めた「無言館」の収蔵作家でもある良二さんの作品も一緒に展示することにしたのです。
そして、岩田さん兄弟の作品展は始まりました。

*音生き(BG)
会場を訪れた岩田さんは、学生たちから質問攻めに会いますが、一つ一つ笑顔で答えます。
*音生き(岩田さんインター)
そして、「戦争がなければ、きっと、その才能を開花させていただろう」と話す弟、良二さんの作品とあらためて対面。
弟の死後60年が経過して実現した2人展です。

*音生き(岩田さんインター)
思いがけず実現した92歳での個展。
岩田さんの夢はつながっていきます。
*音生き(BG)