2008/04/10 木曜日  No.9031

よしこの人生、お鯉さんを偲んで

 

"よしこの"の魅力を全国に広め、老いてもなお輝きと華やかさを失わず県民の尊敬を集めた
お鯉さんの人と業績を偲びます。
 

 
コーナー

内 容

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岸 洋介さん(花火師)

池坊・増田有紀さん 「春の調べ」

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「春の調べ」



 

よしこの人生、お鯉さんを偲んで

(VTR)

きのう昼、徳島市秋田町の葬祭場で、
一世紀を生きたお鯉さんの 告別式が執り行われました。
会場一杯に集まった参列者は 芸の道に生きたお鯉さんのお人柄を偲びました。

(スタジオ)
宗我部
戦前、戦後をよしこの一筋に生き、最後まで華を失わず、ますます輝きながら
今月6日に100歳で亡くなったお鯉さんこと多田小餘綾(ただこゆるぎ)さんの告別式には
およそ1,000人の参列者が並び最後の別れを惜しみました。

 お鯉さんと「おはようとくしま」

 2003/1/9の放送から  お鯉さんの端唄をご覧頂けます。

遠藤
お鯉さんには、これまで折に触れて「おはようとくしま」にもご出演頂き、
いつまでも衰えないその声と三味線とをご披露頂いていました。
けさはきのうの告別式の様子も織り交ぜながらお鯉さんが私たちのために残してくれた生前の姿を振り返り、
その業績やお人柄を偲びたいと思います

遠藤
それでは改めて、お鯉さんの歩みを振り返ります。

(VTR)

お鯉さん:
よしこのは私の、命といいますか、好きなもんですから、よしこのだけは最後まで唄い続けたいなと思っております。

お鯉さんこと多田小餘綾(ただ・こゆるぎ)さんは明治40年、徳島市大道で生まれました。

芸事が好きだった父親の影響で、数え年8歳の時に三味線を始め、
14歳から芸者として芸の世界に生きることとなりました。

昭和6年、売れっ子芸者となったお鯉さんは「徳島盆踊り唄」と題して
よしこのをレコードに吹き込み、阿波踊りを全国に広めるきっかけを作ります。

ますます名を挙げたお鯉さんには、徳島を出て大阪に来ないかという、
引き抜きの誘いがありましたが、
尊敬する*料亭の女将さんの言葉で思いとどまりました。

*大阪の料亭「播半」女将・乾御代子さん

お鯉さん:
意見聞いたら、播半さんも 『徳島の桜は、徳島で 終わりよ』とお話になった・・・

「徳島の桜」の話はお鯉さんの心に残り、お鯉さんは徳島で生きる道を選びます。
しかし、戦中、戦後の混乱期
女性が芸ごとだけを頼りに生き抜くのは並大抵の苦労ではありませんでした。

お鯉さん:
落ち込んだ時代がありました。私にも。
その時を今思うと、よう乗り切ったと思いますね。
その時はあんまり、親にも相談したりせずに、結構まあ崖を駆けのぼったというように思いますね。ほだから 芸子さんを辞めようと思ったことも、なんべんもありましたけど、けど、なんか乗り越えてきたように思います。
たいした芸ではないけども、お芸を稽古していたことで
それが心を決めてくれたように思います。
だから今までにも悔い、あぁしもたことしたなぁ思うたこともありますけれども
お三味線の力で、こんにちまで結構来たように思います。

きのうの告別式では、菊の花で鯉をかたどった祭壇が築かれました。

列席者は僧侶の読経が流れる中、
全国に阿波踊りを広め数多くの弟子を育てたお鯉さんの功績を改めて偲びました。

弔辞・一番弟子の鯉実こと金森昭実さん:
私にとって、先生は常に憧れの人でした。
先生は、人生の幕を下ろされましたが、少しは近づくことができたでしょうか。

先生が最後に見た満開の桜は、先生を追いかけるように散りました。

いつもそばで見ていただき、ありがとうございました。

( スタジオ )

ホットライン紹介

続いて、去年、100歳を迎えたお鯉さんが夢を叶えたコンサートの様子を中心にお届けします。

(VTR)
お鯉さんは80歳を超えたころから、重ねた年齢に一層華やかさが加わり、広く県民の驚きと尊敬を集めるようになりました。

そして、去年4月の誕生日、100歳になった自分の手で三味線を弾いて歌を唄うという、
長年の夢をかなえます。

 

動画をご覧いただけます。

お鯉さん・ステージで:

お鯉でございます。

私の、せっかくちょうだいしました大きな年。
最後まで、最後まで唄いつづけて
好きな三味線を弾き唄い続けたらもう、
これぐれい幸せ、女冥利につきると思っております。

このコンサートの影には、芸ごとに妥協を許さないお鯉さんの姿勢がありました。

この日のために、お鯉さんは右手のしびれを取る手術を受けていました。
自分で三味線を弾くために、99才で、体にメスを入れるという決断でした。

動画をご覧いただけます。

お鯉さん:
お三味線を弾きたいな という 気持ちがあるから
もし弾けたら、(手術)していただいて
弾けたら なおと 思って、踏み切りました、気持ちは。
ほなけど、半分 おとろしい。

お鯉さんは毎日の生活も規則正しいものでした。
朝はフランスパンにコーヒーと、ハイカラな生活ぶりでしたが、生き方全体にお鯉さんならではの美意識がありました。

孫嫁の多田美恵さん:
おばあちゃんは、見られているという生活で
それで、いつも自分を すごく 律しているんですね。

おばあちゃんはお風呂あがって、寝る前にでもね、
眉  描くんです。
もしね、これで起きてこなかったら
ずっと人に  この顔見られるんが  嫌だって・・・

コンサートを目前にして、お鯉さんは最高の歌を聞いてもらうために、
のどの調子を気にしていました。

(稽古の後で)
お鯉さん:
声が出ません。
一番の声のにね、声が出ませんのな。
声はもう「年寄り声」になってしもて・・・ハッハッハ
それ(コンサート)までにまだ日があると。

美恵さん:
なおさなあかんな。

お鯉さん:
なおってもらいたいな。

コンサート直前には、のどにハリを打ちました。
最後まで人知れぬ努力を重ねる姿を家族の方だけはご存じでした。

(スタジオ)

ひとに対しては笑みをたやさなかった
お鯉さんだが、芸の道への真剣さ、ひたむきさ、まことに頭が下がります。
 
ホットライン紹介

それでは、多くの人に惜しまれながらの最後のお別れの様子をご覧下さい

(VTR)

一般の弔問客の列は、40分以上に渡ってとぎれることなく続きました。
政治・経済の世界から、音楽・芸能方面まで、幅広い分野からお鯉さんに縁があり、
お鯉さんのファンになった人たちが長い列を作りました。
  
(自身の、よしこのが流れる中、棺が運ばれる)

(100歳記念コンサートの様子から)

動画をご覧いただけます。

 

(スタジオ)

遠藤
お鯉さんは今月27日に101才の誕生日を迎えるところでした。
亡くなる前日もいつもと変わりなくお元気で、この色紙は、お鯉さんが101才の誕生日に
ゆかりの人たちに配るために、亡くなる前日まで書いていたものです。

『おどる阿呆に 

     見る阿呆

        百一才 お鯉』

と書いてあります。

まさに絶筆となりましたが、お鯉さんは私たち県民に大きなものを残してくれました。

宗我部
お鯉さんの言葉のひとつひとつが、そして歌声が、三味線が、
改めて、かけがえの無いものとして私たちの胸に迫って来ます。
 
(視聴者からのホットライン)
 
最後に、100才のコンサートでのアンコール、残された最高の映像でお鯉さんを見送りたいと思います。

心からお鯉さんのご冥福をお祈りします。

(VTR)

動画をご覧いただけます。

(お鯉さん100歳記念コンサートのアンコール演奏を ご覧いただけます。)

阿波に花咲く

     よしこの囃子

      お鯉 いのちの 踊り歌


『おはようとくしま』に寄せられた、お鯉さんを偲んだ視聴者からのメッセージ(順不同)

(徳島市・66歳女性)
昔、お鯉さんがやっていた料亭の向かいで八百屋を開いていました。
お鯉さんは、私の店によく買い物に来てくれました。
とてもきれいで、上品な女将さんぶりで
あの頃のことが昨日のことのように思い出されます。

(徳島市・61歳男性)
33年前、新のんき連の鳴り物を担当していた頃
お鯉さんといっしょにレコーディングをしました。
その時のLP盤を持っています。

(板野郡藍住町・64歳女性)
父が亡くなって5年になります。
父がお鯉さんと同い年だったので
お鯉さんの元気な姿を見るたびに父を思い出していました。
お鯉さんはいつまでもきれいな方で、
百歳になられてもおしゃれな理想の人でした。
桜の時期にお亡くなりになるのもお鯉さんらしく、美しいと思いました。

(阿南市・61歳女性)
先日、勝浦町のビッグひな祭りに行った時にお鯉さんが会場に来られていました。
そのときに2歳になる孫と嫁とお鯉さんと三人で写真を撮らせてもらいました。
とても思い出になりました。
そして、お鯉さんはとてもきれいでした。

(徳島市・69歳男性)
とても惜しい人を亡くしたと思います。
私も阿波踊りをしていたので、自分の母のように思っていました。
だから残念でありません。
お弟子さんにはお鯉さんの後を継いでがんばって欲しいです。

(小松島市・女性)
私は現在53歳ですがお鯉さんに一度お目にかかりたかったと、
今になって思います。
お鯉さんが亡くなられたなんて、未だに信じられません。
お鯉さんは徳島にとってやはり特別な方でした。
ほんとうに、惜しい人を亡くしました。
近いうちに阿波踊り会館に追悼ビデオを見に行きたいです。
どうか天国でも、三味線を弾き続け、よしこのを歌い続けてください。

(鳴門市・女性)
お鯉さんを見ていると
「生きてるってすばらしい」
「年をとるってすばらしい」と思えます。
こんな人が徳島にいてくれるというだけで、よい夢を見せてもらうことができました。
お鯉さんありがとうございました。

(徳島市・女性)
私はマッサージの仕事をしていますが
お客さんとして来てくれたお鯉さんと知り合って、
すっかりかわいがってもらいました。
お鯉さん、長い間美しい声をありがとうございました。
あなたにいただいたCDや洋服は宝物です。
ご冥福をお祈りしています。

(板野郡北島町)
いつもにこやかだったお鯉さんが芸に対して
あそこまで厳しい姿勢を貫いた方だとは知りませんでした。
ご家族や周りの方の支えもあったと思います。
今はただ、ご冥福をお祈りします。


(40歳・女性)
去年の夏、藍場浜の演舞場で初めてお鯉さんをお見かけしました。
小学3年生と3歳になる娘がとても喜んでいました。

(徳島市・50歳女性)
テレビ番組「徹子の部屋」にお鯉さんが出演していました。
徳島の人がこんな番組に出るということで
県外にいる姉に自慢してしまいました。

(徳島市・男性)
お鯉さんとは食事を共にしたことがあります。
ご自宅を訪問する機会もありました。
非常に人の心を大切にして、心やさしい人でした。
一緒に写した写真を大切に保管しています。
きのうの告別式はすばらしかったです。
手拍子と拍手は特によく、一生懸命やりました。
また、花で鯉を表現していたのが特に印象的でした。

(徳島市・15歳女性)
2006年に東京のホールで一緒に阿波踊りを踊らせてもらいました。
とてもいい思い出です。

(板野郡板野町・53歳女性)
テレビを見ていて、ありし日のお鯉さんの姿を思い出しました。
ご冥福をお祈りします。

(名西郡石井町・65歳女性)
私は昭和42年に結婚し、43年に主人の仕事の都合で北海道に行きました。
その時にお鯉さんのレコード一枚を持っていき、とても慰められました。
ご冥福をお祈りいたします。

 

 

2008/04/09
北海道日本ハムファイターズの武田久投手は、札幌ドームで行われた東北楽天戦で7回2死満塁のピンチから登板、見事にピンチを切り抜け1回と1/3を無失点に抑え勝利に貢献しました。
試合は、4対2で日本ハムが勝っています。
 

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