(VTR)
98年、音楽の都ウィーンで絶賛された日本人ピアニストがいました。
久次米 理恵。
16歳で音楽学校を中退後、独学を極めた演奏家でした。
インタビュー
久次米さん
拍手、ブラボー、同時にむなしさが突き上げてきた
音楽慣れした観客に演奏家の心までは伝わりません。
久次米さんはことし、一枚のアルバムを発表しました。
あのウィーンの演奏会から9年目のことでした。
インタビュー
久次米さん
きょう生きるのがせいいっぱい
44歳。
ピアノと向き合う久次米さんをカメラがみつめました。
(スタジオ)
遠藤
けさは、徳島市出身のピアニスト、久次米理恵さんをご紹介します。

佐久間
久次米さんは徳島市在住の44歳。
東京音楽大学附属高校の演奏家コースを1年で中退、その後、独学の道を歩みます。
92年頃からヨーロッパで演奏活動を開始、なかでもチェコのヤナーチェクカルテットとの共演では高い評価を得ました。
また98年には、ウィーンで開かれたモーツァルト・ウィークの記念音楽祭に招かれました。
ソロの演奏家としては日本人で初めてとなる、快挙でした。
(VTR)徳島市
久次米さんの演奏は鍵盤をたたくのではなく、「はじく」。
身長160センチ。外国人に負けない音量は、体のバネが生みだします。
ピアノ弾く
一日何時間?
それは言えん。
8時間くらい・・・
10分のときも・・
練習はひとりで?
背後霊とともに
楽教師の母と銀行マンの父。
ピアノは英才教育でした。
しかし16歳で音楽高校を中退。
独学の道を歩みました。
音大にも行かず、コンクールにも出ませんでした。
インタビュー
久次米さん
ヨーロッパに行ったから上手いとか、
ショパンコンクール入賞だからすごいとか
全部肩書き取っ払って勝負できるかって
だから学校も捨てたコンクールも捨てた
久次米さんは独身。
徳島市内で、ひとりぐらしです。
ピアノの独学はもうすぐ30年になります。
しかし多くの演奏家が100年以上弾いてきたクラシック音楽に独自の色づけをするのは、とても難しい仕事です。
インタビュー
久次米さん
そら不安にもなるわ
ひとりよがりでないかとか
競争社会も厳しいだろうが
競争のない世界に
身を置くのもつらいです
久次米さんは、ヨーロッパで高い評価を得ているピアニストです。
特に、チェコの「ヤナーチェク弦楽四重奏団」との共演は日本でも、大きな反響を呼びました。
「 ヤナーチェク 」は、音楽大国チェコが、世界に誇るカルテット。
東洋のピアニストは、激しさと繊細さをあわせもつその演奏で観客も、ヤナーチェクのメンバーをも魅了しました。
久次米さんと「ヤナーチェク」、4年間にわたる演奏活動は、チェコ国内、どこも大入り満員でした。
インタビュー
久次米さん
オストラバの思い出
スキンヘッドの兄ちゃんたち
一音も聞き逃すまいと
飢えるように聞いてくれた
翌年の98年。
久次米さんの音楽活動に大きな影響をあたえる出来事がありました。
オーストリアのウィーンで開かれるモーツアルトの記念音楽祭にソロの演奏家として招かれたのです。
日本人では初めて、まさに快挙でした。
音楽祭は大成功、久次米さんを拍手が包みます。
心を突き上げたのは、しかし、むなしさでした。
インタビュー
久次米さん
誰かと比較されている
耐え難い
競争から足を洗ったのに
私は何をやってきたのか
かつてチェコで味わった、お客との一体感。
音楽慣れしたウィーンでは、とうに、忘れ去られたものでした。
日本では、祝福をうけるたび心の穴が広がりました。
「 ピアニストとしての地位は得たが、上れば上るほど、自滅的に心がしぼんでいく 」
これはウィーンでの演奏の翌年、徳島でのコンサートです。
観客から姿が見えないようピアノを舞台の下におろしました。
暗闇の中の主役。
長い悩みのトンネルのはじまりでした。
(スタジオ)
芸術はパッション、情熱といわれます。
どちらがうまいかを
比べるものではない。
どう感じるかだ、という久次米さん
音楽になれきったウィーンに失望した。
帰国後心がしぼみ、
ひとり傷ついていった・・・
遠藤
「 光を求めて 」
久次米理恵さんのその後をごらんください。
(VTR)
去年の11月。
久次米さんのもとをひとりの高校生が訪ねました。
向井章磨(むかいしょうま)さん、17歳。
月に2度、久次米さんにピアノを習っています。
練習の模様
大きな声出すだけが
目立つことでない。
でも学んでいるのは、技術だけではありません。
どうしてもここが待てない
先、先へ行きたがる
それは才能でない
人生経験のなさ。
こんな、なんでもない和音を大事に。
そしたらこの(音)が待てるようになる。
3年間、多くを学びました。
ふたりで演奏
突っ走ってどないする
向井さんには悩みがありました。
それは、友だちとのこと。
インタビュー
向井君
自分で言うのも何だけど人より傷つきやすい
顔に出て学校で先生に指摘
友人は傷つけるつもりでないから僕はどうしていいかわからない。
そんな向井さんに、久次米さんはあることばを送りました。
インタビュー
向井君
自若泰然
自分があきらめなければ
周りがわかってくれるから
自若泰然
一生大事にしたい言葉です
もてる限りをおしえた久次米さん。
そのぶんひとりになった寂しさが身にしみます。
そんななか、久次米さんにある事件が起きました。
実の祖母、トミ子さんが病に倒れたのです。
手術のあとも、危険な状態でした。
おばあさんとやりとり
お茶を飲んで・・・
上手に飲めた
ありがとう。
2日前、意識を取り戻したトミ子さん。
真っ先に呼んだのは、久次米さんの名前でした。
インタビュー
久次米さん
自分が病気なのに私が元気になったかいな
心配をしてくれる
どうして
わたしが元気なかったから
久次米さんへの祖母の想いとは。
インタビュー
久次米さん
祖母は
家族を悲しませまいと
阿南市夢ホール
久次米さんは、
一枚のアルバムをつくりました。
ピアニストになって初めてです。
納められたのはシューマンやショパンなど6人の音楽家の作品です。
音楽にひたむきだからこそ心の行き詰まりはある。
しかし、それは乗り越えられる時期が必ずやってくる。
ひとりでもいい。
自分の音楽に感じてくれさえすれば。
それがたとえ、自分の耳に届かなくても。
背中を押してくれたのは、祖母トミ子さんだったのかもしれません。
インタビュー
久次米さん
変わった
親より先いったらいかん
ピアノと向き合い、ただひたすらに歩んだ半生。
実りを迎える時期は、そう遠くありません。
(スタジオ)
遠藤
けさご紹介した久次米さんの初めてのアルバムがこちらです。

タイトルの「 ログ 」とは英語で船の航海日誌のことです。
演奏者や曲にまつわる解説などはありません。
音と純粋にむきあって感じて欲しいという久次米さんの想いからです。
佐久間
ごらんのお店で取り扱っています。
徳島市のアートレコードとフクタレコードです。
お問い合わせの電話番号はごらんの通りです。
遠藤
けさは、ピアニストの久次米理恵さんをご紹介しました。