2001/10/26
「なつかしの徳島スペシャル」
昭和36年の四国放送ニュース素材から
第二室戸台風の被災地に救援物資
40年前に、勝浦町で摘果みかんを天日干しして出荷。
徳島市春日神社の巫女さん
「おはようとくしま」では毎朝40前のニュースフィルムを紹介するコーナー
「なつかしの徳島」を放送しています。今朝は、当時ニュースフィルムに映っていた人や場所が今どうなっているのかを訪ねる「なつかしの徳島スペシャル」をお送りします。
今流れてきましたこの音楽、皆さんも聞き覚えがあると思いますが、これは今から40年前の
昭和36年3月に発売されヒットした「銀座の恋の物語」です。歌っているのは石原裕次郎さんと牧村旬子さんです。
この曲は今でもカラオケでよく歌われているいわばデュエット曲の定番ですね。
私もよく歌ったものです。
では、昭和36年はどんな年だったのか主な出来事をこちらの表にまとめました。
まず世界や国内の主な出来事です。
1月18日に自動車工業会が昭和35年の国内の自動車生産台数が前の年に比べ
83・2%増えたと発表しました。
4月12日には、ソ連のガガーリンが世界初の有人宇宙飛行に成功、
帰還してからの第一声は「地球は青かった」でした。
6月22日には池田総理とアメリカのケネディ大統領が全面軍縮・核実験停止などを
盛り込んだ日米共同声明を発表。
7月20日には小児麻痺の生ワクチンの緊急投与が開始されました。
8月13日には当時の東ドイツ政府が東西ベルリンの境界線に鉄条網の壁を設置、
このベルリンの壁は1989年11月に崩壊するまで28年間東西ベルリンを分断し続けました。
9月28日には経済企画庁が前年度の国民総生産を発表、
14兆5600億円で実質13%台の伸びを記録しました。
国民総生産や自動車の生産台数などを見ると昭和36年はまさに日本が大量生産、大量消費という
高度成長時代をつき進んでいたということが分かりますよね。
そして世界レベルで見るとベルリンの壁に象徴されるように東西冷戦時代が幕を開けたと言えそうですね。
県内の主な出来事ですが3月30日に徳島市幸町に立体交差道路が開通、またこの月には
小松島港の1万トン岸壁が竣工しました。
7月30日には当時東洋一の釣り橋とも言われた小鳴門橋が開通しました。
そして9月16日には記録的な被害をもたらした第二室戸台風が徳島に襲来しました。今朝は、昭和36年のニュースフィルムの中から3つのニュースのその後について
私と喜多さんが取材に行ってきました。
まずは先ほど県内の主な出来事にも入っていました第二室戸台風です。
(VTR)
昭和36年9月16日後に「第二室戸台風」と名付けられた台風18号が日和佐に上陸し小松島を抜けて関西方面に進みました。
第二室戸台風は戦後最大級の台風で高知県室戸では最大風速が80メートルを超え、
県内では、27・5メートルを記録しました。
この台風で県内では11人が死亡、253人がケガをしました。
また569戸が全壊、1777戸が半壊、床上、床下浸水はあわせて6万戸を超えるなど
記録的な被害をもたらしました。また阿南市の伊島と海部郡由岐町の伊座利は大きな被害を受けたにもかかわらず交通網が寸断され
近付けない状態が続き孤立していました。
このため、日赤県支部では海上自衛隊の協力を得て第二室戸台風の2日後の9月18日毛布や医療器具をヘリコプターに積んで空から救援活動に向かいました。(スタジオ)
気象予報士の山下勇さんにも加わってもらいます。
山下さん、当時のニュース映像を見ると第二室戸台風がいさにすさまじいものだったのかが
よく分かりますね。・高潮被害が大きかった
・最大瞬間風速84.5メートル以上。「以上」というのは風速計がスケールアウトした。
・室戸の旅館はガラスに、ひび割れもなく丸い穴があいていた。弾丸のようで撃ち抜いた風が強かった山下さん、この第二室戸台風は県内にやってきた台風としては戦後最大と言えるんでしょうか?
・第二室戸以来これほどの規模の台風はやって来ていない
それでは先ほどのVTRにも出ていました空からの救援活動が行なわれた海部郡由岐町伊座利に
私が取材に行ってきました。(VTR)
・伊座利の人に集まってもらった
- 川野信子さん(84)「雨戸締めて、みんな芋壺(=さつまいもを貯蔵しておく床下の穴)に入るとか、どないする言いよった。」
- 山口金光さん(71)「食糧から毛布、みんなにあたりました。(ヘリコプターが来たときは)助かった気がしました。」
伊座利地区では第二室戸台風では、風による被害もさることながら高潮による被害が大きく
港には高波が押し寄せました。(音生かし)
・あそこまで波がやってきた。川を波が逆流した。
現在、伊座利の港には防波堤が築かれ、幾分かの安全対策が施されています。
しかし第二室戸台風の恐怖は今も住民らの心に焼きついて消えることはありません。(スタジオ)
当時の新聞記事や、住民の方々の話によりますと港には当時高さ3メートルのほど
防潮堤があったということですが高波のため、およそ100メートルにわたって
決壊したほか、漁協の事務所も1階が土砂で埋まったということです。
また家屋は6戸が全壊、36戸が半壊したということです。あの映像を見ても台風の爪あとが痛々しいんですが、伊座利地区では
けが人なんかはなかったんですか?
当時のお話を伺った山口金光さんの話によりますと
幸いにもけが人はなかったということです。
山下さん、けが人がでなかっただけでも幸いですよね。
「歴史に残る超大型台風の襲来を受け、あれだけの被害を受けながら一人のけが人もなかったのはこの地区の輝かしい記録だと思う。」
「もしかすると伊勢湾台風の教訓が生きていたのかも知れません。」
山下さん、ありがとうございました。
さて続いては、昭和36年9月7日に放送しましたこちらの映像をご覧下さい。
(VTR)
この映像は、勝浦郡勝浦町でみかんの摘果作業を行なっている様子です。
摘果とは、みかんがなりすぎるのを防ぐ為に大きくならないうちに間引くというものです。
一般的に、摘果したみかんはそのまま捨ててしまいます。
しかし、こちらの農家では摘果したみかんを集め、機械で薄く輪切りにした上で
天日で乾燥させ木箱に詰めて出荷している様子が映っています。
(スタジオ)
この映像は、先日の「おはようとくしま」の「なつかしの徳島」でも
放送したんですが、あの乾燥させたみかんが何の目的に使われていたかについては
残念ながら四国放送の記録には残っていませんでした。
みかんを輪切りにして乾燥するというのは本当見たことないですね。
東とくしま農協勝浦支所に問い合わせてみたんですが分からないということでした。
そこで勝浦町を訪ねてみることにしました。(VTR)
(レポート)
勝浦町で60年以上みかん農家を続けているという丸山良章さん(80)にVTRを見てもらい
40年前の当時の記憶を手繰り寄せてもらうことにしました。
- 改良区あたりから勧められて私もやった。
- これに着目したのは化粧品会社だと思う
丸山さんの記憶では、勝浦町ではかつて一時期輪切りにして乾燥させたみかんを
出荷したことがあるということです。
丸山さんは「化粧品会社に出荷したような気がする」とは言うものの、
詳しいことははっきり覚えていませんでした。
そこで丸山さんの紹介から数人の人を介して昭和36年当時
農協で、あのみかんの出荷に携わっていた方に話を聞くことが出来ました。
- 当時農協職員だった豊田明さん(81)「本来は畑に捨てていたがもったいないと話していたところ、静岡県でスライスして乾燥したものを荷受けしていると聞いて、連絡して出荷するようになった。」
- 「製薬会社と言うことは聞いていたが何になったか知らない。化粧品になるとか聞いていた」
本来捨ててしまうはずの摘果したみかんがお金になるとして
この乾燥させた輪切りのみかんは当時農家の人の期待もありましたが、
豊田さんの話では出荷はわずか1年で終ってしまいました。
(音生かし)
・「労賃と引き合わなかったので止めた。よっぽど安かったと思う。手間がかかる」(スタジオ)
喜多さん、結局あの乾燥みかんは何の化粧品に使われていたんですか?
それがですね、当時、農協に務めていた豊田さんも40年前のこととあって
静岡県のどこの会社に出荷していたのか、そして何の化粧品に使われていたのかについては
残念ながら覚えていませんでした。
また取材では豊田さんをはじめ当時を知る数人の人にVTRを見てもらったんですが、
映像に出ていた農家の人についても結局誰だか分かりませんでした。
テレビをご覧の方々の中に輪切りにして乾燥させたあのみかんを
何に使ったのか覚えていらっしゃる方はホットラインまで情報をお寄せください。
さて最後は、昭和36年10月17日に放送しました
徳島市の眉山下にある春日神社の秋祭りの話題です。
まずは当時のニュースフィルムをご覧下さい。(VTR)
昭和36年の春日神社の秋祭りは10月17日に行なわれました。
この日は午前9時から式典が始まり宮司や巫女さんが出席しての
神事が執り行われました。
その後、男性の氏子らが神輿をかつぎ境内を一巡、
神輿は街中に向かって秋祭りを盛り上げました。
(スタジオ)
このニュースフィルムを先日なつかしの徳島のコーナーで
放送しました所、視聴者の方からVTRに映っていた巫女さんが
今もご健在であるとのホットラインを頂きました。
そこでその方を訪ねたんですが、すごい人だったんです。
どうすごいんですか?
VTRをご覧下さい。(VTR)
(レポート)
こちらにいらっしゃる宮崎志満子さん(87)です
「職業の巫女さん。私のところは代々巫女さん。」
ご主人の宮崎栄さん(90)の話によりますと宮崎さんの先祖は
江戸時代中期の延享元年、1744年に京都にある吉田神社で
巫女の資格をとり、以来代々宮崎家の女性は巫女を続けています。(音生かし)
この証明書に書かれている宅宮(えのみや)神社と諏訪八幡神社は
徳島市上八万町の宮崎さん宅の近くに今もある神社です。
(音生かし)
・すごい資料が出てきた
・巫女の中の巫女
吉田神社からさずかった証明書には2つの神社に巫女として奉仕することと書かれていますが
県内では巫女としての資格を持っている人がいないため、
宮崎家の女性は代々、他の神社のお祭りの手伝いに行っていたそうです。
(音生かし)
・秋祭りの時は忙しかった
・今は引退しているが
地元の神社だけは、今でも巫女を続けている
(スタジオ)
それにしても江戸時代に京都の吉田神社からさずかったという
あの巫女の資格書、貴重な資料がよく残ってますね。
それに何か歴史の重みを感じさせられますね。
宮崎家の女性は、代々巫女をつとめているんですが、
VTRに出ていました、ご主人の栄さんの先代までは
女性が跡を取って男性はいずれも養子に出されていたそうです。
ところで、宮崎さん宅に巫女の後継ぎはいらっしゃるんですか?
宮崎さん夫婦には2人の娘さんがいましてそれぞれ嫁いでいるんですが、
2人とも巫女さんをしているそうです。
私が取材に訪れたこの日も、県内の秋祭りに呼ばれていたそうです。
今は秋祭りのシーズンですからさぞ忙しいんでしょうね。
今朝は40年前のニュース映像に映っていた人物を訪ねる
「なつかしの徳島スペシャル」をお送りしました。