2001/09/20

ルーツは徳島か 前方後円墳 

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徳島大学総合科学部助教授 埋蔵文化財調査室長 北條芳隆さん

   (VTR)

大阪堺市にある、仁徳天皇陵、日本最大の前方後円墳です。
この丸と四角を組み合わせた前方後円墳がなんと徳島や香川などの東四国から発祥したのではないかという新たな説が今、持ち上がっています。

「東四国起源説」、その説を唱えているのは徳島大学の助教授で徳島大学の埋蔵文化財調査室長、北條 芳隆先生です。

その自信、前方後円墳が東四国がルーツであるという根拠はいったい何なのか?

そして徳島発祥の確立は?

「前方後円墳・東四国起源説」、歴史がひっくり返ります。

(スタジオ)

前方後円墳の歴史は、ここ徳島からはじまったのかもしれません。

今朝のおはようとくしまは、はるか太古の彼方、古墳時代へとみなさんをご案内します。

その第一歩としまして、まず前方後円墳のおさらいです。

学校の授業で学んだ事があるかと思いますが、つくられたのは3世紀の中頃から6世紀にかけての古墳時代。

有力者のお墓で権力の象徴であると考えられています。日本最大のものは大阪の仁徳天皇陵です。

形は前が「方」、四角で後ろが円形という鍵穴のような形をしているのが特徴です。

この前方後円墳が東四国から生まれたと説を唱えている先生をスタジオにお招きしています。

徳島大学総合科学部の助教授で徳島大学の埋蔵文化財調査室長、北條 芳隆先生です。北條先生は普段、県内の遺跡の調査を主にされているんですが、前方後円墳のルーツに関する論文もお書きになっています。

北條先生、聞きたいこと山ほどあるんですけど、まずひとつ、これまで前方後円墳はどこで生まれたものと考えられていたんですか?

※大和朝廷の国土統一をものがたるもの

※近畿地方で巨大なものがつくられ、地方に広がっていった…。

…ということは、東四国から起源であるというのはまったくその逆であるというわけですねぇ。

※そうですね。

さて、その「東四国起源説」北條先生がその根拠としてあげているのは主にこの4つです。

@徳島や香川の古墳のつくられた年代が古いこと。

A徳島・香川の古墳の構造が複雑であるということ。

B古墳のサイズが小さいこと。

C徳島の青石が近畿地方の古墳に使われていということ。

この4つです。

今朝はこの4つの理由に沿って「東四国起源説」をひも解いていきます。
ではまず最初の理由、古墳の年代が古いという点です。

(VTR)

奈良県の桜井市にある箸墓古墳です。一説では卑弥呼の墓ではないかと
いわれている前方後円墳です。
つくられたのは西暦260 年頃、巨大な前方後円墳としては近畿地方で最も古いものです。しかし、この箸墓古墳よりもずっと昔につくられた前方後円墳が
実は徳島にあったのです。それも日本最古の前方後円墳です。

「萩原墳丘墓(はぎわらふんきゅうぼ)」箸墓古墳から遡ることおよそ50 年、西暦200 年前後につくられたと考えられています。

"日本最古の前方後円墳"です。

発掘されたのは1979 年、しかしその後道路の拡幅によって完全に姿を消しています。
時代の古い古墳は香川県でも見つかっています。高松市にある「鶴尾神社4号墳」この古墳も箸墓より古い、西暦220年前後につくられたと考えられています。

このように東四国には前方後円墳の本場と考えられてきた近畿地方より古い古墳が存在しているのです。

(スタジオ)

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さらにこちらご覧下さい。古墳時代のはじめ、3世紀から4世紀につくられたと考えられる年代の古い古墳が東四国にはこれだけあるんです。
香川県が58 基、徳島が12基、これ非常に多い数なんです。

古い古墳が多いと…。
しかし一番驚いたのは徳島で日本最古の前方後円墳が発見されているということですよね。

北條先生、なぜ20 年前にこの最古の古墳は脚光を浴びなかったんですか?

※徳島が"片田舎"として扱われたから…

でもどうして古いってわかるんですか?

※出土する土器などが古い

まぁとにかく一点目は年代の古い古墳が存在する場所こそルーツではないかということですね。

さて「東四国起源説」二つ目の理由です。こちら、東四国の古墳の構造が複雑であるという点です。複雑であることが東四国起源説とどう結びつくのか?今度はこんな変わった場所にある前方後円墳から紐解いていきます。

(VTR)

変わった場所というのはなんと眉山にあるゴルフ場、ここに前方後円墳があるんです。

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「八人塚古墳」8人の武将を葬っていることからこの名前が付いています。

全長およそ60 メートルの前方後円墳です。

さらに棺を納めていた「石郭」の構造も東四国起源説を大きく裏付けるといいます。

次に訪れたのは石井町で現在発掘調査中の「前山古墳」。3世紀の後半につくられたと考えられる全長18 メートルの小さな前方後円墳です。

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近畿の古墳に石が立てられていないのは構造を簡略化したから。あくまでも構造の複雑な東四国の古墳の方が古いというのが先生の考えです。

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(スタジオ)

最後の点をもう少し補足しておきますと、前方後円墳が誕生するずっと前は木が立てかけられていたそうです。

それが石になって最後はなくなってしまったということなんですね。

ですから石が立てられている東四国の古墳はより原始的だということなんですね。

なるほど、それにしましても先生、こちら絵がでてますけど、「積石塚」が古くて、近畿の「葺石」がそれを真似た見せかけのものだというのは説得力ありますけどホントそうなんですか?

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※コメント

さて、「東四国起源説」続いて三つ目の理由、「サイズが小さい」という点です。

具体的に比べるとよくわかります。

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こちらご覧下さい。大きいのは奈良の箸墓古墳、全長278メートル。
そして東四国の古墳はといいますと、香川県の鶴尾神社4号墳は36メートル。
石井の前山古墳はわずか18 メートルしかありません。こう見ていただくと、東四国の古墳がいかに小さいかということがおわかりいただけると思います。
ちなみに徳島県で一番大きい前方後円墳は渋野円山古墳の90 メートルです。

北條先生、サイズが小さいことがなぜ理由になるんですか?

※徳島の古墳は町内会長レベルの人を埋葬した身近なものと考えられる

さてさて、これまで3つの理由を見てきましたが、どれもルーツは東四国である
というところまでした。

しかし4つ目の理由、徳島産の青石が近畿の古墳で使われているという点はルーツを徳島と限定する大きな要素となっています。

(VTR)

「徳島の青石が近畿の古墳に使われている」

それを確かめるべく、明石大橋を渡っていざ神戸へ。向かったのは神戸市中央区にある「西求女塚古墳」です。

全長およそ95メートルの「前方後方墳」で、現在は公園になっています。
この古墳の発掘調査で徳島から持ち込まれたと考えられる青石が発見されました。

この大きな石がそうです。

このときに発見された青石が神戸市の埋蔵文化財センターに保管されていました。

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(スタジオ)
徳島の青石が使われていると考えられているのは西求女塚だけではありません。こちらご覧下さい。

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紫金山古墳や櫛山古墳、松岳山古墳など奈良や大阪の数多くの古墳で徳島の青石ではないかと思われる石が発見されているんです。

北條先生、これほんと徳島の青石なんですか?

  北條先生の回答 Real Player で再生できます。

※和歌山という説もあるが間違いないだろう

VTRにもありましたけど、徳島がオリジナルだからこそ徳島の青石が持ち込まれたんだろうと?

  北條先生の回答 Real Player で再生できます。

※ブランドとして扱われた可能性…

先生は前方後円墳のルーツが徳島だという確立は何パーセントくらいと思ってますか?

  北條先生の回答 Real Player で再生できます。

※コメント

今回テレビの前の方はどうご覧になりましたか。
今回取材して紹介した事というのは、まだ先生の持論の一部分なんです。
もし、もっと詳しく知りたいとか、こんな説もあるんだということがありましたら
「おはようとくしままで」お電話頂きたいと思います。

今朝は前方後円墳の「東四国起源説」をひも解いていきました。北條先生、どうもありがとうございました。


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