2001/04/03
「おはようとくしま」きょう30年
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「おはようとくしま」きょう30年
1971年(昭和46年)4月3日にスタートした「おはようとくしま」は、きょう満30年を迎える。この30年間のできごとや番組の名物コーナーを振り返る。また視聴者からも30年間の思い出を寄せてもらう。
さて、「おはようとくしま」は、きょう満30年を迎えました。
昭和46年、1971年の4月3日に始まりまして、放送回数がきょうで7324回。
7千回をこえて放送しているわけです。
もちろん、7千回すべてこの3人で担当してきたわけではありません。
けさは、スタジオにこれまで「おはようとくしま」の司会を担当してきた7人のキャスターに集まってもらいました。
ご紹介してまいります。
伊藤誠亮さん。昭和46年から昭和50年まで担当しました。
続いて、武知邦明さん。昭和50年から平成8年まで21年間担当しました。
お隣が、梅津龍太郎さん。昭和58年から平成3年まで担当しました。
こちらは、岩瀬弥永子、旧姓・大島弥永子さん。昭和46年から49年と55年から58年の2度司会を務めています。
続いて、西川陽子、旧姓・立木陽子さん。昭和53年から55年まで担当しました。
お隣が加藤麻美、旧姓・吉井麻美さん。昭和63年から平成3年まで担当しました。
そして岩永美千代、旧姓・名村美千代さん。平成3年から5年まで司会を務めました。
けさは、このメンバーで30年目の「おはようとくしま」をお送りしてまいります。
Real Player で再生できます。番組ジングル けさは、今から時代を追って順になつかしい映像を見てまいりますが、古いVTRの中には一部お見苦しい部分があることをご了承ください。
それでは見てまいりましょう。今も昔も「おはようとくしま」にしばしば出演してもらっているのが政治家です。最初にごらんいただくのは、県議会議員全員がはじめてそろってテレビに出演した日のVTRです。
(VTR)
昭和49年2月28日。当時の司会は伊藤さんと岩瀬さん。
スタジオには、当時の県議会議員42人全員が集まりました。
年輩の方にはなつかいしい顔ですね。三木申三、谷口修、前の参議・松浦孝治さん・・・
続いて昭和50年4月14日放送の「新県議に聞く」。
こちらには現在衆議院議員の山口俊一さんが新人県議として出演しました。当時25歳。
ボタンを押した人数を画面に表示するおなじみのシステムもこのころから取り入れられていました。番組内で紹介したなつかしのVTR 昭和49年2月28日 県議会議員全員がそろって出演した
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1974/02/28 昭和49年「全県議に聞く」
- 伊藤誠亮、大島弥永子、梅津龍太郎
- スタジオには当時の徳島県議会議員、42人が集まった
- 三木申三、谷口修、前の参議院議員・松浦孝治の各氏
1975/04/14 昭和50年「新県議に聞く」
- 現在衆議院議員の山口俊一さん当時25歳
- 「クリーン選挙を実行した」 とスタジオのゲストにアンケート 42人中26人
それでは、昭和50年。
この頃翌取り上げたテーマ、狂乱物価に関する番組をごらんください。
司会は「おはようとくしま」に登場して間もない頃の武知邦明です。
(VTR)
昭和48年のオイルショックのあと物価が急激に上昇。
徳島県民もインフレに悩まされることになります。
昭和50年4月から「おはようとくしま」の司会は武知邦明が担当しています。
この日の番組には、当時の徳島市長、山本潤三さんが出演し、市民が公共料金値上げの苦情をぶつけました。
1975/10
- 徳島市長に聞く(当時・山本潤三氏)
さて、昭和53年5月から司会陣に西川陽子さんが加わります。
(VTR)
これは「おはようとくしま」放送2千回を記念して昭和54年8月13日、県郷土文化会館前から中継したものです。
- 1979/08/13 徳島県郷土文化会館前から生中継
「おはようとくしま」2000回記念さて、昭和56年には、徳島の政界が真っ二つに分かれて戦った知事選挙が行われました。
(VTR)
昭和56年9月に行われた知事選挙は、4期16年を務めた現職の武市恭信候補に新人の三木申三候補が挑む激しい選挙戦となりました。自民党系同士の骨肉相食戦いは「阿波戦争」として全国から注目されました。
- 1981/09 「阿波戦争」知事選挙
- 後藤田正晴氏
- 1981/09/28 「新知事に聞く」三木申三さん
- 投票の依頼があったかどうかを電話アンケート
- 電話アンケートは1972/09/19「寄付の是非」が始まり、120本ぐらい寄せられた
さて、昭和56年頃から再三番組に登場するのが大鳴門橋の工事現場です。
(VTR)
これは、昭和56年1月の鳴門海峡からの中継です。
このときは海峡に2本の主塔が立っているだけで橋はまだつながっていません。
次ぎに、これは昭和57年12月、高さ144mの主塔の上からの中継です。
さらに昭和59年の4月、つながったばかりの橋の上からも中継しました。
そして橋が開通した昭和60年4月には記念イベント鳴門ピア会場からも中継しました。
当時の司会者、杉山雅子、旧姓・桜井雅子が町娘に、梅津さんがまたたびものに扮してイベント会場を駆け回りました。
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- 1985/04 鳴門ピア会場から旧姓・桜井雅子
さてちょうど今、甲子園球場ではセンバツ大会が行われていますが甲子園と言えば我々徳島県民にとって忘れられないのが池田高校野球部の活躍です。
(VTR)
池田高校野球部は、昭和57年、58年と夏春連覇を達成、打って打って打ちまくる「山びこ打線」で高校野球の歴史を塗り替えました。
昭和57年夏の優勝投手、畠山準選手はその年のドラフト1位で南海ホークスに入団、1年目から一軍で活躍しました。
一方、昭和58年春の優勝投手、水野雄仁選手はジャイアンツに入団。人気チームとあって注目度高く、「おはようとくしま」でも何度も取材しました。
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06/20
- 1982/10/12 池田高校監督蔦文也さん
- 畠山準選手
- がんばれ!水野くん
昭和63年4月、加藤麻美、旧姓・吉井麻美が登場します。
(VTR)
- 加藤(旧姓・吉井)麻美
海洋パーク問題は、この「おはようとくしま」のスクープから始まりました。
(VTR)
平成元年。海洋パーク推進派の徳島市議会議員7人が1人あたり25万円の活動費をもらって賛成の署名集めをしていたことが一本のホットラインから明らかになりました。
放送の翌日、徳島市の三木市長は海洋パーク計画の凍結を発表しました。
その後「おはようとくしま」では、27回にわたり疑惑追及の番組を放送。
翌、平成2年1月の臨時議会で三木市長は計画の中止を表明します。
「おはようとくしま」のこの一連のシリーズに対し、日本ジャーナリスト会議から平成2年度JCJ賞が贈られました。
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- 1989/06/20海洋パーク疑惑
そして、平成3年4月から岩永美千代、旧姓・名村美千代が登場します。
(VTR)
印象に残ったのは去年のシドニーオリンピックでメダリストとなった源純夏さんが小学6年生の時にインタビューしたことでした。そのVTRを見てみましょう。
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- 岩永(旧姓・名村)美千代
- 水泳・源純夏さん小学生の頃
さて、ずっと年代順に番組を見てまいりましたが
今度は「おはようとくしま」の名物コーナーやなつかしい企画を見てまいります。まずこちらは昭和55年から去年平成12年まで続きました「おはようとくしま秋の大運動会」です。
これは、徳島市民が各地区に別れて様々な競技で得点を競ったものです。また、昭和59年からは県内各市町村の特産品を紹介する「一村一品」がスタートしました。
市町村長自らが、仮装して特産品をPRしました。
昭和59年12月、四国放送は本社ビルを幸町から中徳島町に移転。
「おはようとくしま」も12月3日から、新しい「100坪スタジオ」から放送するようになりました。
同じく昭和59年の暮れには徳島市立体育館横で「おはようとくしま・もちつき大会」を開催しました。視聴者がもち米を持ち寄って12の石臼でつくという年末の一大イベントでした。
そしてこちらが、昭和62年10月の小学生綱引き大会、決勝戦です。
遠藤彰良はこの綱引き大会の中継が「おはようとくしま」初登場なんです。
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- 新しくなった新聞放送会館
通称・百坪スタジオから初の生放送- 遠藤彰良担当・小学生綱引き大会
以上、30年のあゆみを見てきました。
これからも、「おはようとくしま」をよろしくお願いします。