三橋美智也 (みはしみちや)
| 昭和5年11月10日、北海道上磯町生まれ。本名同じ。 幼い頃から母親に民謡を教えこまれ、小学校入学と同時に叔父に追分を習い、 9才で全道民謡コンクールに優勝したほか、12才の時にコロムビアで、 「江差追分」を吹き込むなど、その美声・才能は、認められていた。 小学校を卒業する頃に三味線を習い始め、 津軽三味線の白川軍八郎一座とともに苦難の修業を続け、 昭和25年三味線片手に上京。22才で明大中野高校に入学。 民謡教室でアルバイトをしながら民謡を研究し、自らも民謡教室を開く。 昭和28年弟子の吹き込みに行った際、 レッスンの声がディレクターの耳にとまり、キングレコード専属歌手として契約。 昭和29年「酒の苦さよ」でデビュー。 昭和30年「おんな船頭唄」のヒットで一躍スターの座に。 昭和37年には「星屑の町」で日本レコード大賞「歌唱賞」を受賞。 後の高度経済成長につながった農村から大都会への人の流れを背景に、 離れた肉親・恋人への思いや郷愁を歌って人々の心をつかみ、 デビュ−8年で約40のヒット曲を歌い、1000万枚のレコードを売り上げた。 民謡界でも「現代の大衆が歌える新しい感覚を」と 民謡と流行歌の融合の先頭に立って活躍。 戦後半世紀にわたり春日八郎、村田英雄らとともに演歌界をリードし続けた。 昭和54年ラジオDJとして「ミッチーブーム」を起こし、 昭和58年には、歌謡界史上初のレコード売り上げ「1億枚」を突破。 歌謡界にゆるぎない王座を築く。 平成8年1月9日多臓器不全で死去。65才。 生涯レコーディング数約2500曲。 「達者でナ」「男涙の子守唄」「古城」「あの娘が泣いてる波止場」 「リンゴ村から」「哀愁列車」「夕焼けとんび」「赤い夕陽の故郷」 「一本刀土俵入り」などヒット多数。
|