第28回 昭和14年(1939年)

出来事 「第二次世界大戦勃発」
  ドイツ軍がポーランド西部国境を突破。イギリスやフランスが宣戦を布告。
  ポーランドはソ連の侵攻も受け、西部をドイツ領、東部をソ連領に分割された。
  ナチスドイツがドイツ人の移住地を確保する『東方帝国』の形成を目論んで始めた。
「ノモンハン事件」
  満州とモンゴルの国境にあるノモンハンで起きた満州国軍とモンゴル・ソ連軍の大規模な衝突。
  軍馬に草を食べさせにきたモンゴル軍騎兵を満州国軍が「越境」として攻撃したことから勃発。
  ソ連軍との圧倒的な戦力の差により日本陸軍は戦死者約7700人をだすなどの大敗北を喫するが、
  日中戦争への士気に影響するとして国内では報道されなかった。
「平沼騏一郎内閣から阿部信行内閣へ」
  枢密院議長だった平沼が第一次近衛文麿内閣の総辞職を受けて総理に。
  内政面では「国家総動員法」に基づく勅令を次々と公布し総動員体制を強化。
  外交面での前内閣の懸案だった「日独伊三国同盟」の締結問題での閣内不統一で総辞職。
  予備役陸軍大将だった阿部は平沼内閣総辞職の後、陸軍の圧力により総理となるが、
  貿易統制や物価統制の強化による失政により、わずか4ヵ月の短命内閣に終わる。  
「物価・賃金の凍結を閣議決定」
  第二次世界大戦勃発により国際的な物価高騰。原料・資材の入手難となったため。
  こうした物価統制が『ヤミ値』や『ヤミ商人』を生み出し統制が統制を呼ぶ悪循環に。
「白紙召集始まる」
  国家総動員法による「国民徴用令」が公布・施行された。
  兵役の召集令状は赤色で「赤紙」だったのに対し徴用令書は白色で「白紙」と呼ばれた。
  徴用第1号は建築技術者で、大部分は「大陸建設部隊」として現地に送られた。
  この年850人が翌年5万人、16年25万人、17年31万人と飛躍的に伸びた。
世相

流行
「興亜奉公日」
  日中戦争が続く限り毎月1日をこの日に定め、国民に8項目の実施が求められた。
  『戦死者の墓参』『前線への慰問文・慰問袋』『努めて歩く』『緊張して働く』
  『服装と食事はとくに質素に』『酒と煙草はやめる』『遊興はやめる』『節約して貯金』。
  食生活では『一汁一菜』、身だしなみでは『女性のパーマネント禁止』『男子学生の長髪禁止』、
  慣習では『中元・歳暮の贈答廃止』など日常生活を戦時体制化するものだった。  
「テレビの実験放送」
  日本放送協会が昭和15年開催予定の『オリンピック東京大会(非開催)』での本放送に向け、
  当時、テレビ開発の権威だった浜松高等工業学校の高柳健次郎教授を招いて実験。
  有線による実験では『ちらつきも少ない』と評価され、電波実験でも予定通りの受像に成功した。
  東京都内各所で行われた一般公開では行列ができるほどの人気の高まりを見せたが、
  16年に入り研究者たちがレーダーや超短波などの兵器研究に動員され中断せざるをえなかった。  
「零戦誕生」
  『一二試(昭和12年度試作)艦上戦闘機』。翌年紀元2600年の末尾の『0』をとり『零戦』と命名。
  航続力、最大速度、空戦機能のどれをとっても世界最高の戦闘機だった。
  『真珠湾攻撃』の頃から海軍航空隊の主力として活躍しアメリカ軍に「ゼロ・ファイター」と呼ばれた。
「ニッポン号世界一周」
  海軍使用の『96式陸上攻撃機』を長距離輸送機に改造した東京日日・大阪毎日新聞社機。
  太平洋と大西洋を横断して20ヵ国を訪問。航程52860キロ、実飛行時間194時間。
スポーツ 「体育・スポーツの戦時化」
  男子青少年の体力の向上はかる『体力章検定制度』を実施。国家・軍国主義を浸透させた。
  『走』(100m、2000m)『跳』(走幅跳び)『投』(手榴弾投げ)『運搬』(50m)『懸垂』で検定。
  数え年15歳から25歳までの男子はすべて受けなければならなかった。
「帝都市民体育大会」
  防毒マスクをつけて走る『毒ガス線突破競争』、水バケツを持って走る『防火訓練競争』など、
  体力検定種目と国防訓練を組み合わせた競技大会となった。
「双葉山驚異の69連勝」
  当時大相撲は春と夏の年2回興行だったため、11年春場所から3年がかりで連勝記録を伸ばす。
  この年の夏場所4日目で前頭三枚目の安芸ノ海の左外掛けに敗れて70連勝はならなかった。
  多くの国民は、双葉山の連戦連勝に、日中戦争での日本軍の快進撃を重ね合わせさえした。
「大相撲初の15日制に」
  12年春まで11日制だったのが、双葉山人気で夏から13日制となり、この年の夏から15日制に。
「早稲田が優勝」
  春の東京六大学野球リーグで早稲田と慶応が勝ち点同数で優勝決定戦を行う。
  シーソーゲームの大熱戦の末、早稲田が5−4で勝って優勝を決めた。
「東京でジャンプ大会」
  東京・後楽園スタジアムに、高さ40m・斜面の全長85mのジャンプ台を設置。
  新潟県から運び込まれた雪を30cmの高さに積み上げて行われた。     
芸能

映画
「宝塚歌劇団ハリウッドへ」
  小夜福子ら宝塚少女歌劇団の一行59人がロサンゼルス入りしハリウッドの映画撮影所を見学。
  ニューヨークで開催された万国博をはじめ全米9都市で公演した。
「霧島昇と松原操結婚」
  13年秋の大ヒット映画「愛染かつら」の主題歌「旅の夜風」をデュエットした縁で。
  山田耕筰夫妻の媒酌で行われた結婚式は『愛染コンビ実を結ぶ』と報じられた。
「双葉山結婚」
  当時横綱が相撲界とは縁のない世界から花嫁を迎えるのは異例で当初は関係者から反対があった。
「望郷」
  ジャン・ギャバン主演のフランス映画。共演ミレーユ・バラン、監督ジュリアン・デュビビエ。
  アルジェリアのカスバを舞台に警察に追われる主人公ペペ・ル・モコが、
  パリからの観光客の女性にひかれたことから逮捕され自殺するという物語で大ヒット。
「映画法公布」
  わが国初の文化統制法として成立。ナチスドイツの「映画検閲法」を手本とした。
  『製作の許可制』『脚本の事前検閲』『外国映画の上映制限』『ニュース映画の強制上映』などが柱。
人気商品 「防毒マスク」
  マスクと呼吸缶をゴム製蛇腹でつないだ分離式とマスクと直接つないだ直結式。
  吸収剤には、活性炭、ソーダ、石灰、ろ過剤には、フェルトが使われた。
「千人針セット」
  『戦線と銃後をむすぶ千人針』の名で発売。
  縁起が良いとされる虎を印刷したさらし木綿と赤い糸、針の3点で一袋38銭。
「代用品いろいろ」
  陶製の「湯たんぼ」「ストーブ」「鏡餅」が登場。「ポスト」はコンクリート製のものも。
「雪印マーガリン」
  バターを主原料に植物性油脂を加えたもので『人造バター』『バター代用品』に。
  物資欠乏時代のため重宝がられ生産量もバターを上回るようになった。
「四つ珠そろばん」
  13年から四つ珠を使った珠算が尋常小学校4年の必須科目になり、
  当初は五つ珠の一番下を糸でくくって使用。この年から四つ珠が製造販売された。
流行語 「パーマネントはやめましょう」
  髪にウエーブがかかっていると、子供にまでこう呼ばれ統制された。
「供出」
  国産米の売り惜しみを防ぐため政府が決めた価格で農家から強制的に買い上げる制度。
   無理矢理出さされるという意識を生み、その後、食料から鉄製品、貴金属にまでおよんだ。
「赤マント」
  東京市中に女子供を襲う赤いマントの「せむし男」が現れるという噂が広まる。
  墓地の近くで少女が暴行を受けて殺害された事件が噂の発端となった。
  「国家非常時」という理由で強盗や殺人等の犯罪報道が禁じられ情報への不信感があった。   
ヒット曲 愛染草紙/霧島昇、松原操
愛染夜曲/霧島昇、ミス・コロムビア
一杯のコーヒーから/霧島昇、ミス・コロムビア
大利根月夜/田端義夫
親恋道中/上原敏
広東ブルース/渡辺はま子
九段の母/塩まさる
島の船唄/田端義夫
上海の花売娘/岡晴夫
純情二重奏/霧島昇、高峰三枝子
純情の丘/二葉あき子
鈴蘭物語/淡谷のり子
旅のつばくろ/小林千代子
チャイナ・タンゴ/中野忠晴
唐人お吉/高田浩吉
長崎物語/由利あけみ
懐かしのボレロ/藤山一郎
古き花園/二葉あき子
何日君再来(ホーリーツィンツァイライ)/李香蘭
ほんとにほんとに御苦労ね/山中みゆき
港シャンソン/岡晴夫
名月赤城山/東海林太郎
夢去りぬ/霧島昇
夜のタンゴ/淡谷のり子

※ ピンク色のタイトルは放送された曲です

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