<阿波の狸合戦>

     徳島は「狸の国」昔むかし、ずーっと昔、眉山から城山・沖の洲にかけてあちこちに川

     が流れ湿地帯が多く葦やかやが繁り狸がたくさん住んでいた。

      この話は、そのころ津田山、勝浦川をはさんで小松島の日の峰山麓に掛けての勝浦川

     河川敷きが舞台となっている。

      四国の総大将と自負している<六衛門狸>は徳島市津田町の津田山の洞穴に娘狸「鹿

     の子」息子の「千住太郎」と住んでいた。

      一方、小松島では、頭角をあらわしていた<金長狸>は、自分ももっともっと強くな

     ろうと修業のため総大将の「六衛門狸」の門下に弟子入りした。厳しい修業であった特

     に「金長」には無理難題の特別の修業が与えられた。

      修業を終えた金長に六右衛門は、才能を見込んで、娘の「鹿の子」の養子にと考えた。

     金長は育ててくれた紺屋大和屋茂右衛門の恩義を思いだし辞退した。金長に反逆心があ

     るとして「阿波の狸合戦」が始まった。

      ころは天保時代、勝浦川下流千代が丸付近からカゴにかけてが古戦場といわれている。

      狸のほえる声、引き裂くような声、青白い目の光が闇夜のなかで花火の様に飛び交い

     けたたましい泣き声、うめき声、ぶっつかる音、葦原を突っ走る音、三日三晩続いたと

     いわれた戦いは東の空がしらみかけるころ川を挟んだ両岸は狸の死体で山になるほどだ

     ったという。その中でひときわ太く大きい「六衛門」の無残な姿が横たわっていた。

     「金長」が勝った。『六衛門』の戦いは、すざましく、ものすごいものであった。総大

     将の強さを見せつけた烈しい戦いであった。金長側も犠牲が多かった、金長も深く手負

     いを受け、それがもとで命を失う事になる。この戦いで金長は、正一位を授かる。今も

     小松島市中田町で大切に『金長大明神』として祭られている。

      昭和14年(1939年)映画化(劇場)され大ヒット全国的に有名になった。映画

     会社も再建されたとも云われている。大物俳優さんも毎年お参りに来られていた。